忘れえぬ想い







<柚木SIDE>



とうとう、約束の―――と、言っても祖母が勝手に取り付けたものだが―――日曜日になってしまった。

柚木の他に父と母、それから祖母を乗せた車はとある高級料亭へと向かっている。

その店は普段から柚木家が贔屓にしている所だった。

見合いはその一室を貸切にして行われるらしい。

車が目的地に近づくにつれて、柚木の心もどんどん沈んでいく。

窓に映る自分の顔は一目で解る程つまらなそうだ。

柚木は流れていく景色を見ながら、香穂子の事を考えていた。

今は朝の十時。 昼食にはまだ早い時間帯だ。

暇だから、などと言って病院内をうろついているのかも知れない。

・・・だとしたら、途中で転んでいそうだ。 ドジだから。

それとも、病室で大人しく読書でもしているかな?

・・・・・・香穂子に限ってそれはない。

前に字を見るだけでも眠たくなる、と言っていたから。

柚木は色々と想像してみて、不意にこの間の事を思い出した。

指輪をあげた時の、本当に嬉しそうな香穂子の笑顔を。

それは柚木の知る中で、一番綺麗な笑顔だった。

出来る事ならば、ずっと彼女の側にいたい。

離したくなどない。

―――否、離すつもりはない。

今日は戦いにきたのだ。

あんな本人の気持ちをまるっきり無視した見合いなど受け入れられる訳がない。

少し前の自分ならば、それも柚木家に生まれてしまった自分の運命だと思って諦めていただろう。

だけど、今の自分には絶対に譲れないものが出来てしまった。

それを―――彼女との未来を守る為に、柚木は自分の運命と戦うのだ。

柚木は決意を胸に、一度だけ目を閉じる。

やがて車は停止し、運転手によってドアが開けられる。

柚木は閉じていた目をゆっくりと開け、車を降りた。

前を真っ直ぐに見据え、その瞳に迷いなどは見当たらなかった。







***************







柚木たちは店に入ると、この店のオーナーらしき男性に部屋を案内される。

そこには既に岩瀬昌也氏夫妻と・・・・侑子が待っていた。

反射的に睨み付けそうになったが、それを理性で何とか押し込める。

「遅れてしまい、申し訳ございません・・・」

柚木はその場に座って頭を下げた。

「いえ。 こちらも先程到着したばかりですので、お気になさらず」

岩瀬は穏やかな口調で言う。

その隣に居た侑子も柚木に微笑む。

「私、この日が来るのを今か今かと待ち望んでいたのですよ。 ・・・・本当に、夢みたいだわ」

うっとりとした口調で言う侑子に対して、柚木も体裁上曖昧に笑った。

けれど、柚木にとってこんな遣り取りは拷問でしかない。

この縁談を無理矢理に進めた祖母にも、香穂子を階段から突き飛ばしといて自分はのうのうと笑っている侑子にも

言いようのない怒りが腹の底から込み上げてくる。

それを必死に抑えるため、膝に置いている手をグッと握っていた。

先程から鋭い痛みを感じるので、もしかしたら爪が食い込み血が滲んでいるのかも知れない。

かと言って、手を解いてしまったら感情を制御できる自信がないので握り締めたままでいた。

両家は世間話もそこそこに、ようやく本題に入る。

「柚木サマと婚約出来るなんて・・・・きっと、私は世界一幸せな女ね・・・」

「・・・・・っ」

侑子の台詞一つ一つが柚木の癇に障る。

その度に『誰がお前なんかと』と、言いたい気持ちを必死で押し留めた。

しかし、柚木のこんな心情には誰も気付かずに、その場は和やかな雰囲気で話は進む。

「侑子! その『柚木サマ』はやめろとあれ程言っただろう!
 ・・・・・梓馬くん、こんなはしたない娘で本当にすまない。 気分を害しただろう?」

「とんでも御座いません。 梓馬には勿体ないくらい、素敵なお嬢様ですわ」

代わりに答えた祖母は『ねぇ、梓馬?』と、同意を求めた。

柚木は仕方なしに一つだけ頷く。

「ふふ、嬉しいですわ。 ・・・それでは、今日から梓馬さんと呼ばせて頂きます」

私の事も名前でお呼び下さいね、と侑子は言った。

いつまでこんな茶番劇を強いられるのだろう。

もう限界だ、と柚木は思った。

けれど、そんな柚木の心を追い詰めるように母の言葉が胸を突く。

「雰囲気もよろしい様ですし・・・・梓馬、あれをお出しなさいな」

母の示すあれとは、間違いなくこの間香穂子に渡した指輪の事だ。

先週、見合いの席でこれを渡せと持たされたのだ。

母も父との見合いの際に渡された大事なものだから、と・・・。

ならば、それは本当に大切な女性に渡したかった。

いくらそれが見合いに必要な結納品でも、あの婚約指輪は柚木の気持ちそのものだから。

――――もう、潮時かな。

心の内でポツリと呟いた。

「・・・梓馬?」

いつまでも行動を起こさない柚木に母が訝しむ。

柚木は一度目を瞑り、気持ちを落ち着かせた。

そして、パッと瞳を開ける。

・・・・・・・覚悟を決めて。






「僕は侑子さんと婚約は出来ません」

「梓馬・・・!?」

母は驚いた様子で柚木を見つめた。

そして、その場に居る者全員が柚木に注目している。

「・・・指輪はどうしたのですか?」

静まった広い部屋に、祖母の冷静な声が響く。

柚木はそれに臆することなく答えた。

「指輪は、僕が見初めた女性に差し上げました」

「・・・・っ!」

侑子の息を飲む音が聞こえた。

その瞳には大粒の涙が浮かんでいたが、柚木は無感動にただそれを見つめる。

「僕には侑子さんとの結婚など考えられません」

柚木は同情の色も見せず、キッパリと言い放った。

俯き、肩を小さく震わしていた彼女は、柚木の拒絶に居たたまれなくなったのか、その場を飛び出した。

「侑子っ!!」

岩瀬は直ぐに娘を後を追おうとしたが、溜め息を吐いて柚木に向き直る。

「・・・・正直、君がこんなにも冷酷な人間だとは思っていなかった。 失望したよ・・・・」

それだけ言うと再び背を向け、部屋を後にした。

その妻も静かに席を立ち、夫に続く。

「この縁談はお互いなかった事にしましょう。 それでは、失礼いたします」

そう言って、開け放たれた襖をパタンと閉めて出て行った。

息子の暴露。 突然の破談。

父母はその展開の速さに付いて行けていない様だった。

しばらくの間、沈黙が降りる。

「梓馬」

祖母が静かに口を開く。

そして・・・・・・・。

ぱんっ、という乾いた音が部屋に響いた。

祖母が柚木の頬を叩いたのだ。

父と母は信じられない、と言うように目を見開く。

祖母は厳しい事を言っても、決して手だけはあげない人だったから。

けれど、当事者たちは至って冷静そのものだ。

柚木も毅然とした態度を崩さない。

「今回の事に限っては謝りません」

「・・・・私の顔に泥を塗って楽しいですか?」

今までにない険悪な雰囲気に一家の主である父でさえ口を挟めなかった。

「いいえ。 ただ、貴女のやり方には納得がいきません」

「・・・・・・・」

ピクリ、と祖母は不愉快げに眉を顰める。

けれど、柚木は構う事なく続けた。

「僕はおばあ様の道具ではありません。 僕には心に決めた女性が居るんです!」

「・・・その方は柚木家に相応しい女性ですか?」

いつまでも堂々巡りな会話に柚木もボルテージが上がってくる。

「どうして貴女はいつもそうなんだ・・・! そんなに家が大事ですか!?」

柚木は初めて祖母に自分の気持ちをぶつけた。

再び沈黙が訪れる。

柚木は暫く祖母の言葉を待った。

けれど、そのまま語る事もなく踵を返して部屋を出て行こうとする。

「おばあ様っ!」

縋るように声をかけると、祖母は漸く口を開いた。

「今の貴方には冷静さが足りないようですね。 暫く家で頭を冷やしなさい」

それだけ言うと、振り返る事もせずに部屋を出て行ってしまった。







***************







自宅謹慎を祖母によって言い渡された柚木は、一日の殆どを自室で過ごしていた。

あれから何日が経過したのか解らない。

ただ、ひたすら窓の景色を眺めるだけの生活。

空はこんなにも晴れ渡っているというのに、柚木の心は翳っている。

「・・・・香穂子に逢いたい・・・」

何気なく呟くと、もう駄目だった。

逢って、抱き締めたい。

離したくない。

失いたくない。

ずっと共に在りたい。

そればかりが頭を支配する。

今まで柚木は自分が香穂子を夢中にさせているとばかり思っていた。

しかし、それは間違いで・・・・本当に溺れていたのは自分の方だったのだ。

「今更、気付くなんてな。 しかも、この状況で」

そっと苦笑が漏れる。

けれど、そんな自嘲も襖の開く音でかき消された。

「梓馬。 話があるのだが・・・今いいかい?」

父の穏やかな声と共に姿が見えた。

柚木は先程の憂いを帯びた表情を綺麗に押し隠して父に微笑みかける。

「ええ、構いませんよ。 お父さん」

パタリ、と襖を閉じて父はふと苦笑しながら言った。

「この間の見合いの件だが・・・、あれには流石の私も驚かされたよ」

「すみません・・・。 ですが、僕の意思もなしに婚約を進める事がどうしても我慢出来なくて・・・・」

顔を少し伏せながら話す柚木に、父はいつもの様に笑みを浮かべながらそれを静かに聴いている。

その反応に柚木は戸惑った。

てっきり『柚木家の顔に泥を塗るな』と釘を刺しに来たとばかり思っていたからだ。

父はそんな息子の困惑を感じ取ったのか、優しい笑みは崩さないで語りかける。

「私はね、梓馬・・・・嬉しいのだよ。 お前が本音をぶつけたのは何年か振りだったから。
 この間みたいに嫌な事があったら、ちゃんと口にしなさい。 気持ちを押し殺すのはお前の悪い癖だ」

一瞬、柚木は驚いた顔をしたがまた直ぐに俯いてしまった。

今度は困惑からではなく、嬉しさで。

いつもの様に自分の意見は尊重されないと思っていた。

こんな風に優しく受け入れられる事など予想もしていなかったから・・・・・。

柚木は胸が締め付けられるほどの嬉しさを噛み締めていた。

父の温かい言葉に、ひとつだけ小さく頷く。

震える柚木の肩を宥めるかのようにポン、ポン、と叩いた。

それが、ひどく安堵できて柚木はホッと息を吐く。

「・・・私も実のところ、あの見合いには思う所があった。 いくら家の為、と言ってもあれでは息子を売ったも同然だからね。
 だけど、それはお前自身の問題であって私が口を出すべきではない、と思っていた。 だから敢えて何も言わなかった・・・」

「ええ、解っていますよ・・・。 本当は侑子さんと婚約した方が良いって事も解っています」

柚木のその言葉に父はとても痛ましい顔をした。

「・・・梓馬・・・・そうではなくて―――」

「けれど、僕には僕の人生があります。 そして・・・・大切にしたい女性が・・・居るんです」

「ああ、それはこの前に言っていた人だね?」

父の言葉に柚木は強く頷いた。

それまで優しく微笑んでいた父が柚木の本気を感じ取って、その表情を厳しいものに変える。

「・・・・梓馬、お前は本当にその人を幸せに出来るかい?
 もし、柚木家の後ろ盾がなくなっても男としての責任を果たせるのか・・・?」

それは暗に『家との決別』を示していた。

だが、柚木の心は既に決まっている。

父の射るような視線にも臆する事はなく即答した。

「はい。 元より柚木家の財産や権力など当てにはしておりません。
 彼女と共にいられるのなら、それがどんなに苦しい道だとしても僕は幸せだと感じます」

これが柚木の正直な想い。

どんなに笑われようとも構いはしない。

父の鋭い眼差しにも、真摯な瞳で対峙した。

暫くお互い視線を逸らさずにいると、父の瞳がふわりと微笑む。

「・・・・そうか。 ならば、私からはもう何も言う事がないな」

「お父さん・・・?」

「母上は私が説得してみるよ。 ・・・・それでも駄目ならば家を出る資金を援助しよう」

そう言って立ち上がる父につられて柚木も腰を上げた。

「今まで父親らしい事を何一つしてやれなかった、せめてもの気持ちだよ」

襖を開けて出て行く父の背中に柚木は咄嗟に声を掛ける。

「お父さん・・・! そ、その・・・・色々と有難う、ございます・・・」

柚木は微笑んだ。

いつも家や学校で見せる作り笑いではなく、心からの笑みを・・・・・。

父にもそれが伝わったのか、『気にするな』と照れたように笑って部屋を後にした。






それから、数日後・・・・柚木の謹慎はようやく解けた。

祖母も柚木の変化に少しばかり戸惑っていたのだ。

そして、父の説得がダメ押しとなったのだろう。

香穂子との交際は実際に会ってからでないと認められない、と祖母は言ったそうだ。

少しずつだけれど、全ては良い方向に事は流れてきている。

自分一人の力だけでは絶対に成し得なかった事だろう。

柚木は改めて、父に感謝した。

母もこの事には素直に応援してくれている。

祖母に関しても、徐々に柚木の意見も考慮しているようだ。

少しずつ・・・・・この家も何かが変わってきている。

いつか―――自分自身も家族に対して、心を開ける日が訪れるかも知れない・・・と思った。

今直ぐには無理だけれど・・・・ゆっくりと、それぞれのペースで歩み寄ればいい。

きっと、解り合えるはずだから。






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★あとがき★

ようやく、お家問題も解決(?)ですね!
何かお父さんの口調が遙かの少将様に似てきちゃった・・・・(汗)
いや、意識した覚えはないんですが・・・・。
まぁ、流石にあんな気障い台詞は言いませんけどね〜。
あ・・・、奥様には言ってたりして??(笑)