忘れえぬ想い






<香穂子SIDE>


香穂子はいつもの様に柚木が病室に来るのを待っていた。

普段はする事もないので窓の風景を眺めているだけだが、兄がそれじゃ退屈だろうとこっそりと携帯を渡してくれた。

記憶がない今、誰にメールする訳でもないがフォルダに入っていた画像をただ眺めているだけでも面白い。

青い髪のクールな美貌の男の子と、男らしいがっしりとした体躯の男の子が、不快げな表情で睨みあっている写真。

白衣を着た教師らしい男性が煙草を咥え、猫にエサをやっている写真。

新緑の髪で快活そうな男の子がカツサンドを大量に買い込んでいる写真。

チェロを大事そうに抱えて眠っている男の子の写真。

それから――――自分と柚木が笑いながら2ショットで写っている写真。

それぞれの記憶が甦る事は残念ながらなかったけれど、どれも楽しそうな写真ばかりだ。

だけど、一つだけ解った事がある。

柚木はどの写真でも穏やかに笑っているが、自分と2ショットの時には雰囲気が全く違う。

意地悪そうに口角を吊り上げて笑っている写真や、本当に楽しそうに笑っている写真など。

きっと、これが柚木の本当の素顔なのだろうと写真を見て気付く。

そして、それを自分以外に知る人はいないという事も写真で解った。

――――同時に、この人をもっと知りたいと思った。

いつも柚木が来てくれるのを心待ちにしてる自分がいる。

柚木の事を想うだけで胸が高鳴った。

・・・・・多分、これが人を好きになる、という事。

最悪な話、例え記憶が戻らなくても今から柚木との新しい思い出を作っていきたい。

香穂子は柚木と写っている写真を待ち受け画面に設定して、携帯を胸に抱き締めた。

「・・・・先輩、大好き・・・」

そっと小さく呟いたら、一層愛しさが溢れて尚更柚木に逢いたい気持ちが高まる。

その時、コンコンと病室の扉がノックされる。

香穂子はさっと携帯を枕の下に隠した。

それと同時に扉が開いて、さっきまで逢いたいと想っていた柚木が現れた。

「調子はどう? ・・・って、今何か隠した?」

「い、いえっ! 何もっ!!」

香穂子は思いっきり首を横に振って否定する。

ここまで激しく否定するのは我ながら怪しいとは思うけれど。

だけど、見られる訳にはいかなかった。

絶対に。




けれど、その頑なな態度が逆効果だと香穂子はその時気付かなかった。

「ふぅん・・・もしかして、俺に見せられないもの?」

香穂子は少し考えてからコクリと頷く。

見せられない、というか・・・・見られたら恥ずかしい。

「・・・・解った」

柚木のその言葉に安堵して顔を上げたら、すぐ間近に柚木の美貌が迫っていた。

えっ、と思った瞬間に唇を塞がれる。

「・・・っんん!」

いつもの包み込む様なキスではなく、何もかもを奪い尽くす様な激しいキス。

舌を絡め取られ、押し返す腕の力も段々と弱まってきた。

次第に頭の中に霧がかかった様に何も考えられなくなっていく・・・・・・。

柚木の口付けに身を委ねようとした時、視界の端で見えた柚木の手はいつの間にか香穂子の携帯を握っていた。

「・・・んっ! んんぅー!」

一気に覚醒した香穂子は再びジタバタと柚木の下で暴れだす。

今度ばかりは抵抗が弱くならなかったので、柚木は渋々口付けを解いた。

「か、返して下さい!」

携帯を奪おうと伸ばした手は柚木に避けられ、空振りに終わる。

「病院では電源を切るのが常識だろ。 もしかして、他の男にメールとか打ってたとか?」

「ちが・・・! 開けちゃダメっ!!」

「ダメって言われると余計に見たくなるのが人間なんだよ」

柚木は意地悪な笑顔で香穂子の訴えを軽く聞き流し携帯を開く。

その待ち受け画面は先程香穂子が登録した柚木の寝顔があった。

香穂子が写っていないので、おそらく香穂子自身が撮ったのだろう。

だけど、それを撮られた記憶が柚木にはなかった。

普段ならば、ほんの小さな物音でも目を覚ます自分が携帯カメラの音に気付かない筈がないのに。

この時の自分は余程、熟睡していたらしい・・・・。

驚いてまじまじと携帯を見つめていたら、香穂子は柚木から携帯を取り上げて布団の中に頭までスッポリと潜ってしまった。

「・・・・嫌だって言ったのに」

紅潮しきった顔を見られたくなくて隠すため、不貞腐れた振りをした。

「どうして? 俺は嬉しいよ」

「・・・・・・」

「携帯の待ち受け画面に設定するほど、俺の事が好きなの?」

「・・・・っ」

「ほら、早く答えて。 俺はあまり気の長い方じゃないんだから」

「・・・っ、そうですよ! 私は柚木先輩の事が好きですよっ、悪いですか!?」

香穂子は布団を跳ね除けてとうとう開き直った。

何度も何度もしつこいくらい尋問され、耐えられなくなったのだ。

対して柚木は、とても満足げな表情だった。

「悪くないよ。 良く出来ました」

そう言って香穂子の前に黒い小さな箱を差し出す。

「・・・・何ですか?」

興味はあるものの、すっかり機嫌を損ねた香穂子は一瞥しただけだった。

「何だと思う?」

疑問系を疑問で返され、柚木にはその箱を開ける意思はきっとないのだろう。

香穂子は傍らに置かれた箱を手に取り、蓋を開けた。

中にあった物は、小さなダイヤモンドがついた上品そうなシルバーリングが一つ。

「これ・・・っ!」

驚いて柚木を見ると、先程の笑顔はなく・・・・真摯な瞳と真剣な面差しをしていた。

「俺は香穂子を愛しているよ。 だから、この指輪を受け取って欲しい」

柚木の真剣さがひしひしと伝わってくる。

『愛している』、その一言がどうしようもなく嬉しい・・・・。

けれど、今の自分では受け取れない―――受け取ってはいけない様な気がした。

不可抗力とは言え、記憶を全て失くして今でも彼を思い出すことが出来ないのだから。

そんな自分に、指輪を受け取る資格などない。

香穂子は顔を少し俯けて、静かに首を振る。

「私も・・・・先輩の事は愛しています。 でも、指輪は受け取れません・・・・」

「どうして?」

「・・・えっ?」

まさか理由を聞かれるとは思っていなくて、間の抜けた声が出てしまった。

けれど、柚木はもう一度問う。

「どうして受け取れないのか・・・俺の納得する答えを聞かせて」

凛と澄んだ声、迷いのない瞳。

自分もそれに応えなければならない、そう思った。

香穂子も真っ直ぐに柚木の目を見据え、改めて自分の今の気持ちを告げる。

それに対して柚木も香穂子が話している間は口を挟む事は一切せず、ただ耳を傾けていた。







***********







「馬鹿か、お前は・・・・」

香穂子の答えを聞き終えた柚木の返答がそれだった。

「俺は記憶の有無なんて気にした事はない。 そんな小さな事でいちいち悩むな」

「・・・・・・」

香穂子は柚木の嘆息を聞きながら、顔を再び俯けてしまった。

けれど、柚木はその顎を自分の方に向かせる。

その瞳は視線を逸らす事さえ許さない。

真摯で強い眼差しは、ふいに穏やかなものへと変化した。

そのまま香穂子をギュッと抱き締めて、柚木は耳元で囁く。

「怖がるなよ・・・。 俺はありのままの香穂子が好きなんだ・・・・」

瞬間、香穂子の肩がビクリと震えた。

「・・・・・・どうして・・・」

どうして、柚木には自分の心が解ってしまうのだろう・・・・。

ずっと、ずっと、香穂子は恐れていた。

いつまでも記憶が戻らない自分の元から柚木が離れていってしまう事が、凄く怖かったのだ。

指輪を貰ったとしても、柚木が今後から離れていかないと言う保障は何処にもない。

それならば、新しい記憶など作らない方が良い。

今なら良い思い出に出来る、と信じていた。

「本当に馬鹿な子だね・・・・。 もう離さないってこの俺に何回言わせれば解るの?」

口調は相変わらず俺様だが、背中を摩っている手は限りなく優しい。

こんなに想ってくれている人を思い出にするなんて無理に決まっている。

今度は自らの手で、危うく幸せを逃してしまう所だった。

「ふふっ、ホント・・・馬鹿ですよね」

少し涙が滲んでしまったけれど、香穂子は精一杯の笑顔を柚木に向けた。

もう大丈夫。 後ろを気にするのは止めたから。

それが柚木にも伝わったのだろう、彼も綺麗な笑顔を香穂子に向けた。

「香穂子さん、今度こそ貴女を全身全霊で守り抜くと誓います。
 ですから・・・・僕と結婚を約束して頂けませんか?」

「はい、喜んで!」

香穂子の快い返事を聞くと、柚木は嬉しそうな・・・けれど、少し照れたように微笑んだ。

そして、再び指輪を取り出すと、香穂子の左手を恭しく自分の方へと引き寄せる。

薬指にそっと指輪をはめると、それはピタリとサイズが合っていた。

「良かった、ピッタリだな。 ・・・・この指輪はね、代々柚木家に伝わるものなんだ」

「え? じゃあ・・・これって・・・」

香穂子は驚いて指輪をまじまじと見つめた。

「ああ。 これは母が見合いの時用にくれたものだ。
 家の体裁の為に、一応見合いだけはしといてやるさ。
 でも、俺がその指輪をあげたいと思う女性はお前だけだから、これは譲らないよ」

「・・・・先輩・・・」

柚木の想いに、思わず泣きそうになってしまった。

けれど、柚木は不愉快そうに眉を顰める。

「もう、先輩はやめろ」

それだけで柚木が何を言いたいのか解ってしまい、顔が紅潮する。

「まさか、忘れたなんて言わせないよ?」

香穂子はコクリと頷くと、少し躊躇いながら言った。

「えっと・・・・・あ、ずま・・・?」

柚木も嬉しそうな表情で頷く。

「そう。 これからも名前で呼ぶんだよ?」

「はい!」

好きな人に名前で呼ばれるのは何よりも嬉しい事と知っている。

そして、好きな人から名前で呼ぶ事を許される事は何よりも幸せな事。

この先も不安になる時は沢山あるだろう。

それでも、この想いを忘れなければ・・・・見失わなければ・・・・きっと大丈夫だ、と香穂子は思った。






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★あとがき★

お待たせしました〜! 『忘れえぬ想い』第三話です。
今回は香穂ちゃん視点でした。
う〜ん・・・前回とは違って平和過ぎた??(汗)
でも、今まで可哀想だったのでご勘弁下さいまし・・・・。
ふふふ、次回はいよいよ柚木さん編ですっ!!
予定としては、あと次か・・・その次辺りで終わる筈です(アバウト)
・・・まぁ、あくまで予定ですけどね〜(苦笑)