数時間後、陽の光の眩しさに柚木は目を覚ました。


ふと隣を見れば、静かに寝息を立てて眠る香穂子が居る。

ただそれだけの事なのに、ひどく愛しい。

柚木は上体だけを起こして香穂子の寝姿をじっと見つめていた。










** 微 熱 **










まだ少女を脱しきれていない香穂子の容貌は、瞳を閉じると一層あどけなくなる。

眠っていてもどこか頼りない印象の彼女に微笑し、無意識に手は緋色の髪を撫でていた。




「・・・ん・・・」

「お早う、香穂子」

「・・・おはよう、ございます・・・」




まだ覚醒しきっていない様子に柚木は小さく笑った。

だが、ある違和感に気付いて直ぐに微笑みを消す。




「・・・お前、熱あるんじゃないか?」

「え?」




きょとん、とする香穂子。

自覚がなさそうな彼女を見て溜め息を一つ吐き、捲れた衾を掛けなおしてやった。




「見世側には俺から口添えしてやるから、今日くらいは休めよ」

「そ、そんな事できません! 今回は予約もあって・・・」

「駄目だ」

「いくら梓馬さんのお言葉でも、それだけは聞けません」

「香穂子」

「・・・聞けません」




がんとして譲らない香穂子に少しだけ苛立ちを感じる。

何故、自身を蔑ろにしてまで他の男に尽くすのか。

そういう世界だと理解はしていても、やはり納得は出来なかった。




「解った。 なら、俺が流連(いつづ ) けする」

「えっ?」

「今日はここに泊まって、花代も予約の奴の倍は出してやる」




そうすれば、先客は柚木なので泊まるとなれば当然柚木の方が優先される。

花代も流連けの代金とは別に、予約客の倍を出すというならば他の客にも牽制が出来るという算段だ。

柚木は香穂子の了承を得る前に通りすがりの新造を捕まえ、見世と交渉して精算してしまった。




「・・・あんな大金、余分に出す必要なかったのに」

「まだ言ってるのか?」

「だって、勿体無いじゃないですか」

「気にするな。 お前の金なんだから」

「えっ?」

「香穂子に逢いたくて稼いだものだ。 香穂子に使うのは当然だろう?」

「・・・梓馬さん・・・」

「それに、ああでもしない限りお前は見世を休む積もりはなさそうだし?」

「・・・・・・ううっ」

「ほら、横になって。 それ以上悪化させないようにしないとな」




衾も厚手のものに代えて貰い、もう一度香穂子を褥の中へと横たえらせた。

額に手を当ててやれば気持ちがいいのか、ゆっくりと瞼を閉じる。




「・・・・梓馬さんの手、冷たい」

「馬鹿。 お前の体温が高いんだよ」




氷でも貰って来ようかと思って腰を上げると、不意に着物の裾が引っ張られた。

見ると香穂子の手がしっかりと布を掴んでいる。

閉じられていた瞳は、不安げに柚木を見上げていた。




「・・・何処へ行くんですか?」

「氷を貰いに行こうと思っただけだ。 すぐに戻るから」

「いや。 その言葉は嫌い・・・」

「・・・え?」

「そう言って、戻っては来なかったもの」




柚木はそれを聞いてハッとした。



『 す ぐ に 戻 る か ら 、 こ こ で 良 い 子 に 待 っ て て ね 』



脳裏に当時の自分の言葉が浮かぶ。

あの時、後を付けられているのを悟って、祖母の従者を追い返す為に香穂子の傍を離れたのだ。

香穂子には余計な心配などさせたくなかったから、そう言って・・・・。

結果的にそれは相手に隙を与えてしまい、互いに引き離され、あの約束は守られなかった。


忘れていた訳ではないが、配慮の足りなかった自分に舌打ちをする。

・・・・もっと言動には注意すべきだと解っていたのに。

本当にちょっとした事で、相手を大きく傷つけてしまう時もあるのだ。

それを知っていながら一番大切な人にしてしまった事が、許せなかった。




「・・・すまない」

「あっ、私こそごめんなさい! 違うんです、梓馬さんを責めている訳じゃないの」

「解っているよ。 でも、もっと気を付けるべきだった」

「・・・本当に、もういいんです。 過去を嘆いても仕方ないですしね」




そう言って香穂子は微苦笑しながら、言葉を続ける。




「それに、過程はどうであれ・・・私はこうなって良かったなって思ってますよ」

「え?」

「だって・・・ほら、前よりも今の方が堂々と逢えるじゃないですか」




柚木は思い付きもしなかった前向きな意見に暫く呆けた。

そして徐々に笑みが溢れる。

クスクスと笑い出した柚木を香穂子は不思議そうな顔で見上げた。




「あの、梓馬さん・・・・?」

「悪い悪い。 ただ、お前には適わないなと思っただけだよ」




過去を嘆いても仕方ないと言える強さも、いつでも前向きな姿勢も。

本当に何もかも・・・・適わない。

自分には無いものを持つ彼女だからこそ、眩しくて。

いつでも明るい道を提示してくれるのだ。




「それは私のセリフです。 梓馬さんは何でもそつなくこなしちゃうし」

「・・・そういう意味じゃないよ。 まぁ、解ってないならそれでも良いけどな」

「えー? 凄く気になるんですけど・・・・」

「いちいち気にしなくていい。 ほら、また熱が上がってしまうよ」

「・・・・あ、そうでした」

「まったく、お前は・・・。 しばらくこうしててやるから、大人しく寝ていろ」




そう言って、再び香穂子の額に手を乗せた。

少しひんやりしているとはいえ、手では冷却効果も望めないが。

それでも、香穂子が安心できるというなら望み通りにしてやりたかった。




「・・・・きもちいい」




香穂子は小さく呟いて、瞳を閉じる。

やがて静かに寝息を零して眠りについたが、それでも柚木は傍らを動こうとはしなかった。

だからと言って、いつまでも何もしないままでは熱は下がらない。

柚木は、また禿を呼んで今度は水の入った桶を用意させた。

そして懐から白い麻布を取り出して水に浸し、絞ったそれを香穂子の額に宛がう。

やはり、人の手などよりも効果があるため・・・少し香穂子の表情も和らぐ。

その事に柚木は安堵した。




「はやく治すんだよ」




そして、本当に元気な笑顔を見せて欲しい。

そう願った柚木の表情は安堵の色が消え・・・・不安に翳っていた。












NEXT >>



***************