結局、あの後は眠りつく事が出来ずに朝を迎えた。

この思いがけない再会を、悲しむべきか喜ぶべきか・・・・自分でもよく解らない。

そして、柚木が再び自分の前に現れた理由も解せなかった。







** 豹 変 **








昼の見世は比較的まったりと時間が過ごせる。

というのも、単純に客の足が少ないからだ。

だから、昼の時間帯は遊女たちの休息時間と言っても過言ではない。

―――もっとも、香穂子は夜見世になったとしてもそんなに忙しくはないのだけど。

今日も普段通り、楼主に挨拶をして張り見世へ向かおうとしたら何故か呼び止められた。

その顔はとても嬉しそうで香穂子はますます首を傾げる。




「今日はお前に良い知らせがあるんだ」

「・・・・なんですか?」

「実はね、予約が入ってるんだよ」

「え、私にですか? もしかして、仲来様とか・・・・」

「いやいや。 とりあえず、お座敷にお通ししているから行ってきなさい」

「は、はい・・・」

「くれぐれも、粗相の無いようにするんだよ」




何度も念押しされて、その場をあとにする。

お茶を挽いてばかりいる香穂子に予約など滅多にない事だ。

それに、あの楼主の喜びよう・・・・・。

気にするな、と言う方が無理である。

不審に思いながらも香穂子は 『遣り手』 と呼ばれる廓内の一切を取り仕切る者と一緒に座敷へ向かう。

襖が両側から開けられ、その向こうにいた男の姿に息を飲んだ。




「梓馬さ・・・・っ」




思わず名前を呼びかけて、香穂子は慌てて口を噤む。

花音楼などの大見世は、初会の客とは一切口を利いてはいけないのが仕来りなのだ。




(・・・どうして・・・?)




『それじゃあ、またね』

昨夜、確かに柚木はそう言った。

それが客として会うという意味だと思う筈もなく、当てもない唯の挨拶だと解釈していたのだ。



―――だけど、この初会だけで終わるかも知れないし・・・・・。

そう思う事で香穂子は自分の中の僅かな期待を押し殺す。




しかし、実際は香穂子の 『期待』 通りに事が進んだ。

あの初会から柚木は二度目、三度目・・・と、登楼し続けた。

そして三度目の登楼からは 『馴染み』 と呼ばれる。

馴染みになれば、客はその廓内では他の遊女に手を出してはいけない。

所謂、『本命』 を作る行為が 『馴染み』 である。

それには儀式があり、遊女と客を夫婦に見立てて杯を交わすのだ。

やがて儀式も済ませると他の者は退散し、部屋には静寂が訪れた。




「あの、あず・・・・・いえ、柚木様」




香穂子は 『梓馬さん』 と言いかけて、やめる。

もうあの頃の様な甘い関係ではないから。

馴染みとは言え、柚木もお客の一人になったのだ。

対して柚木は別段気にしていないのか、普段どおりの笑みを浮かべて振り向いた。




「何だい、香穂子」

「・・・・どうして私なんかの馴染みになって下さったんですか?」




それはずっと思っていた疑問。

自分の全てを棄ててまで一緒になろうとした相手に突然裏切られたら、その相手を許せないと思う筈だ。

いくら過去と言っても人の傷はそう簡単に消えるものではないし、ましてや忘れるなんて有り得ない。

香穂子自身、一生怨まれて憎まれる事を覚悟して・・・・あの日何も告げずに柚木の手を離したのだ。

それなのに馴染みになるなんて、本当に解せなかった。



香穂子が質問すると、柚木は少しだけ意外そうな顔をする。




「・・・へぇ、てっきり君はこの状況を手放しで喜ぶかと思ったのに。 少しは思慮深くなったのかい?」

「ゆ、柚木・・・様・・・?」




口調こそ穏やかで優しいものの、言っている事は明らかな侮蔑。

香穂子が今まで慕ってきた柚木とは、全くの別人と言っても良いほど纏う雰囲気が違かった。

柚木を初めて怖いと感じ、一歩、二歩・・・と、後ずさる。




「黙っていても何れは知る事だろうし、教えてあげるよ」




酷薄そうな笑みを浮かべて近づく柚木に対して、香穂子は尻餅のまま後ろに下がる。

だが褥に乗り上げた時、柚木は大股で間合いを詰めて香穂子の肩を強く押した。

褥に仰向けの体勢で倒れ、起き上がる間もなく柚木が圧し掛かる。




「簡単に言えば性欲処理かな。 まさか、うちと繋がりのある家のお嬢さん方を抱く訳にはいかないしね」

「・・・そんな、酷っ・・・!」

「酷い? ・・・はっ、お前にそれを言われるなんて夢にも思わなかったよ」

「・・・・・っ」

「それにお前だって良い思いはする筈だぜ?」

「な、にを・・・・」

「お前、此処ではお茶挽きばかりで一人部屋はおろか、明日の食事すらも危ういんだって?」




柚木に本当の事を指摘されて、かぁ・・・と羞恥に頬を染めた。

きっと楼主あたりから聞いた情報なのだろう。

だけど、世界中で柚木だけにはそんな事を知られたくはなかった。




「このままじゃ、年季が明けても河岸 (かし) 見世送りになるのが関の山だな」

「・・・・・・・・っ!」




その言葉に香穂子はビクリと身を震わせた。

年季が明けても生きていく金が無ければ、病気が蔓延する汚い路地で身を売るはめにもなる。

実際に、そういう遊女だって少なくは無い。

そうして結核などの病に倒れ、死んでいくのだ。


香穂子はその想像上の遊女が自分と重なって、深い絶望に襲われる。




「・・・やっ・・・いや・・・っ、嫌ぁ・・・・!」




香穂子が首を横に激しく振るたびに、流れる涙が散った。

泣いて取り乱す様を暫く眺めたあと、柚木は口角を上げて唆すような口調で香穂子に告げる。




「それが嫌なら、俺と契約するか?」

「・・・けい、や・・・く・・・?」

「そう。 年季が明けるまで俺はお前に金を遣って、お前は俺に身体を差し出す」

「・・・・それって・・・・」




香穂子は不思議そうに首を傾げた。

契約するも何も、廓にいる以上それが互いの役割りであり、責任だ。

強いて言うなら、その条件に 『年季明け』 という期限が含まれているくらいだ。

泣くのも忘れてキョトンとしていたら、苛立たし気に回答を迫られたので慌てて承諾した。




「・・・じゃあ、脱いでもらおうか」

「え?」

「それとも俺に脱がされたいの?」

「じ、自分で脱ぎます!」




試されているような視線に、思わず反抗的に言ってしまった。

後から接客する態度ではなかったと気付いて、様子を窺えば・・・・何やら愉しそうなので安堵する。

人の心の機微には聡くないので、香穂子は自分でも気付かぬ内に人の顔色を窺うようになっていた。








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★あとがき★

よーやく黒が降臨しました!
全体的にビターテイストな感じでいきます。
次は裏に突入です。
あ、もしかして・・・柚香での行為は初めて・・・・?(今、気付いた / 汗)