夜が明けない日は無いように。

見世の夜もまた変わらずにやってくる。

例え香穂子の体調がどんなに悪かろうと関係なく。

一介の娼妓である香穂子には見世を休むなどという行為は許されない。







** 再 会 **








だが、元より客の少ない香穂子はこの日だれにも買われずに終わった。

大部屋に戻る最中、香穂子の心境は複雑だった。

体調の優れない日に客が付かなくて良かったと思う反面、明日の食費が心配になる。

廓で生活する以上、食事はきちんと支給されるがそれも最低限に過ぎない。

基本的には米と漬物と味噌汁だけだ。

勿論、それだけでは足りないので皆あらかじめ表に来る仕出し屋などで他の惣菜類を買う。

しかし、香穂子はこうして客が付かずお茶を挽く事が常なのでいつも金欠だった。



遊女が客をとった場合、花代に、台の物といわれる料理の代金を客が支払う。

その何割が見世の分、何割が借金の返済に充てられ、残りの数割が自身の取り分となる。

今ある所持金を思い返せば溜め息しか出てこない。




香穂子は沈んだ気分を払拭するために頭を横に振った。

こうして落ち込んでいても客は付かないのだから、また明日頑張るしかない。

その為に今日は早く眠ってしまおうと、止めていた足を進める。

それでなくても今日は疲れているのだから。




「・・・・香穂子」




丁度その時、誰かに名を呼ばれた。

低い、男性の声だった。


楼主かと思い、後ろを振り返っても誰もいない。

気のせいかと首を傾げて香穂子はまた歩き出す。




「ここだよ、香穂子」




今度はしっかりと聞こえた。

中庭の方を見ると暗くてよくは見えないが人影が動く。




「誰!?」

「いやだな、もう忘れてしまったの? 今朝も会ったのに」

「・・・・・っ!」




香穂子はその場で凍りついた。

そう。 今朝、偶然出会ってしまい・・・そして逃げてきた相手が其処に居た。


―――梓馬さん・・・・・。


言った筈の名前は声にならなかった。




「まるで幽霊でも見たかのような顔をしているね」

「・・・っ・・・あ、どうして・・・此処が・・・」

「君がしていた腰帯、丁度この廓のものだったから」




そう言って、差し出された帯は確かに今朝失くしてしまったもの。

落とした事に気付いてはいたけれど、客から贈られたものでもないからと探しはしなかったのだ。

それが皮肉にも柚木が拾っていたとは、思いもしなかった。

だが、香穂子はある事に気付く。




「・・・・あの、ここの庭にはどうやって・・・・」




しかし、言ってから後悔する。

この敷地内に外部の者が居るという事は、娼妓を抱きに来る 『客』 以外に有り得ない。

だったら柚木も此処へ誰かを抱きに来たのだろう・・・・・。

胸に不快な感情が渦巻いて、汗ばんだ掌をギュッと握り締めた。

―――なんて自分勝手な感情。

彼の手を離したのは他ならぬ自分だというのに、嫉妬だなんて。



けれど、柚木から出てきた言葉は香穂子の予想とは反していた。




「そこの裏口から。 鍵が壊れているみたいだから直しておいた方が良いよ」

「・・・・・え?」




キョトン、とする香穂子に柚木は指を差す。

示された方を向けば確かに裏口の扉が僅かに開いていた。




「戸締りはちゃんとしておかないと、いつか襲われてしまうよ? こんな風に、ね・・・・」

「きゃっ・・・!」




グン、と腕を強く引っ張られ慌てて顔を上げた。

しかし目の前には琥珀色の双眸が近づいていて、頬に手を宛がわれたかと思う間もなく唇が重なる。




「んん・・・っ」




閉じた唇をペロリと舐められ、思わず声が漏れた。

僅かに開いた唇をこじ開けるかのように、柚木の舌が侵入する。

ザラリとしたものが自分の舌に触れて香穂子はビクンと身を強張らせた。

だが、柚木はそれに構う事なく後頭部を押さえて更に口付けを深くさせる。

角度を変える度に柚木の熱い吐息を感じて、ますます力が抜けてしまう。


――――好き・・・・・。


言葉に出せない想いを心の中で告げる。

そして、うっすらと瞳を開けると柚木と視線が合った。

その瞳はとても冷め切っていて、真っ直ぐに香穂子を見据えている。

自分との温度差の違いに、香穂子は酔いから醒めてハッと我に返った。


ドンと柚木の身体を押すと、意外にも腕はすんなりと解ける。




「ふふ、ご馳走様・・・・・」




ゾクリとする程の妖艶な微笑み。

何故か自分の知る柚木とは異なって見えて・・・・戦慄が走る。




「・・・どうして、こんな事を・・・・?」

「さぁ・・・気まぐれ、かな」




そう言って、柚木は香穂子に一歩近づく。

香穂子もまた、一歩後ろへ下がる。

だが、いきなり間合いを詰めてきた柚木に香穂子は目を瞑って身構えた。

再び腕を引っ張られ、更に身を硬くしていると掌を上に返されてその上に何かを置かれる。

おそるおそる目を開けてみると、それは香穂子の腰帯だった。




「届け物だよ」

「あ・・・・」

「それじゃあ、またね」

「ま、待って・・・っ」




背を向けて歩き出した柚木に香穂子は慌てて声を掛けるが、彼は振り向く事なくスタスタと暗闇に溶けていった。

残ったのは柚木が届けてくれた腰帯と、微かな花の香りだけ―――。










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★あとがき★

まだ黒くないです。
ゲームで言ったら、サブイベントかな。(笑)
因みに、鍵は柚木さんが壊した訳ではありませんよ。