『これ以上はダメだよ。 俺に関わらないでね―――』
そう言ってアイツを牽制したのは、俺自身。
それなのに、他の男に向けるアイツの笑顔がムカツクなんて・・・・・。
こんなキモチ・・・・葬り去ってしまえたら良いのに。
「柚木先輩!」
背後から掛けられた声に、不覚にも少しドキッとした。
振り返ると、普通科の制服を着た全くの別人。
ここは普通科の校舎なので制服が同じなのは当然の事だし、声が似ていたくらいで
一喜一憂する自分が心底バカバカしい・・・・。
俺は苛立ちを隠して、いつも通り 『良き先輩』 像を演じてやる。
ふと胸元のタイを見れば二年生の学年カラーである臙脂色だった。
たったそれだけの共通点でも苛立ちが更に高まる。
苛立ちの原因は解っている。
『いつも来る筈のアイツが来ない。』
ただ、それだけ。
そして、来ない原因も解っている。
自分が 『関わるな』 と言ってアイツ ―― 日野 ―― を遠ざけたからだ。
始めは恰好のオモチャだと言って、適当に構ってやるだけで良かった。
けれど、いつからだろう・・・・・・。
日野が俺の心に棲みつき始めたのは。
気付いたらいつも日野の事を考えていて、それが不快だった。
「柚木先輩、あの・・・」
「ん? 君は確か、生徒会書記の・・・・」
「はい、普通科2年の西野美夜子です。 柚木先輩に折り入ってご相談が・・・・」
「いいよ。 生徒会関係の事かな?」
「ええ、この案件についての整理なんですけど―――」
そう言って西野は持っていた資料を柚木に手渡す。
それにざっと目を通していると、前方から見慣れた人物が歩いてきた。
「・・・・日野・・・・」
誰に言うでもなく、ポツリと呟く。
丁度、廊下の角に居た柚木は香穂子から見えないのか、そのまま横を通り過ぎる。
その時に見えてしまったのは、香穂子の楽しげな笑顔と知らない男子生徒の姿。
今はもう自分に向ける事のない表情を、よりにもよって他の男に向けていた。
瞬間、身体中に不快感を覚える。 ・・・・が、途中で自分の中の矛盾に気付いた。
( 『よりにもよって』 って、何がだ・・・?)
心の中で自問自答を繰り返すけれど、それによって落ち着くどころか更に感情が昂ぶってくる。
資料を持つ手は小刻みに震え、胸中をどす黒い何かが侵食していた。
それが嫉妬なのだと気付いた時、既に柚木は西野に資料を突き返していた。
「――― ごめん、 この話はまた後でね」
「えっ・・・柚木先輩!?」
普段の彼らしからぬ行動に驚き、西野は目を見張る。
しかし、柚木の瞳を見た瞬間に次の言葉を失ってしまった・・・・・。
***************
「はい、約束のCD。 日野さん聴きたいって言ってたでしょ」
「わぁ、ありがとう〜!」
クラスメイトの彼からCDをを受け取った所で、不意に背後から名前を呼ばれた。
「・・・日野さん、ちょっと今いい?」
振り向かずとも誰だか声で解る。
けれど、わざわざ彼の方から自分に話しかけてくる理由が解らない。
何故なら、自分は彼に嫌われている筈だから。
いつまでも後ろを向いている訳にもいかず、硬直した身体を無理矢理前に向ける。
「・・・・柚木先輩、何の」
用ですか―― と、最後まで言葉を紡げなかった。
柚木はいつも通りの笑みを浮かべているが・・・・眼は全く笑っていない。
裏の素性を知っている香穂子でさえ、こんな冷たい眼差しの柚木は見た事がなかった。
隣りの彼をチラリと横目で見れば、その異変に気付いていないのか
柚木の存在感に圧倒され、ただただ慌てているだけの様子だ。
そんな彼を見て柚木は微かに鼻で笑い、嘲った瞳で見下す。
しかし、それは僅か数秒で・・・・香穂子以外に気付いた者は居ない。
「会話の途中に申し訳ないけれど、コンクールの事で話があるから少し日野さんを借りても良いかい?」
平静を装った柚木が穏やかに尋ねると、彼は緊張しながらコクコクと頷いた。
「ありがとう。 じゃあ日野さん、進路指導室の使用許可を貰ってるからそこで話そうか」
「・・・・・はい」
香穂子は小さく返事をして、柚木の後に付いて行った。
「さぁ、どうぞ?」
恭しく扉を開いて招く彼に警戒しながら、香穂子は恐る恐る部屋に入る。
すると、突然柚木が背中を押したので前に転びそうになった。
その拍子に借りたCDを落としてしまい、慌てて拾おうと手を伸ばす。
しかし。
鍵を後ろ手で閉めた柚木が、そのCDを踏みつける。
「あ・・・っ!」
バキッというプラスチックの割れた音が響き、中の本体までもひび割れた。
「何するんですか!! 借り物なのに・・・!」
顔を上げてキッと睨み付けると、無言で床に押し倒された。
「っや・・・」
その衝撃に小さく悲鳴をあげた香穂子の上に、柚木が覆い被さった。
同時に抵抗する間もなく、唇を重ねられる。
せめてもの反抗で口を硬く閉ざす香穂子だが、ガリッと下唇を噛まれた。
「痛っ」
ひるんで薄く口を開けた瞬間に、柚木の舌が強引に押し入ってきた。
逃げても直ぐに絡め取られて、口角からは飲み込めなかった銀糸が一筋零れる。
優しくも何ともない、ただ荒いだけの激しい口付け。
ひたすらに貪られて漸く唇を解放された。
途端に酸素が肺へ一気に入り込み、少しだけ咽ながらも眼前の柚木を睨みつける。
いくら自分が気に入らないからと言っても、こんな理不尽な扱いを受ける謂れはない。
「やめて下さい! 大声で人を呼びますよ!?」
「どうぞご自由に。 この部屋は防音設計だし、鍵も掛かっているから助けなんて来ないけどな」
「・・・・・っ」
「おや、叫ばないの? まぁ賢明な選択だな。
例え助けが来たとしても普段から人望のある俺と、唯の一般生徒のお前・・・・。
世間は確実に俺を信用するよ」
三年間かけて培ってきたものは伊達じゃないって、前に教えたろう?
そう言って柚木は、さも可笑しそうにクツクツと笑う。
だが、相変わらず瞳だけ笑っていない彼を見て、香穂子は底知れぬ恐怖を感じた。
不意に両腕を頭上に持っていかれ、今度は何をされるのか・・・と、内心穏やかではない。
スルリと胸元を飾っていたネクタイを奪われて、両腕を拘束された。
その手際が鮮やかだったので自分の置かれた状況を忘れ、見入ってしまった。
数秒遅れて香穂子は慌てて拘束を解こうと足掻く。
しかし、それは緩むどころか逆に締め付けが強くなるばかり・・・・。
「無理に腕を動かすと、内出血するぜ」
耳元で優しく残酷な事を囁かれ、一切の抵抗をやめた。
少しでも痛みを軽減したいのなら、それが最良だと悟ったから。
・・・・・認めるのは大変悔しいけれど。
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