忘れえぬ想い







<香穂子SIDE>




静寂な部屋の中、コーン・・・という鹿おどしの心地よい音が鳴り響いた。

けれど、その部屋の空気は緊迫していて和やかな空気など微塵もない。

それを作り出している人物は、香穂子の正面に座っている柚木の祖母自身だ。

本家の出、と言うだけあり祖母から醸し出される雰囲気は、上品でありながらも威圧感を感じる。

統率者というのは、こういう洗練された何かを持つ人の事を言うのだと香穂子は思う。

そして、祖母の左隣には柚木の父親と右隣には母親が静かに座っている。

柚木による予備知識もあり、祖母は香穂子の想像通りの人物だった。

両親もきっと同じ雰囲気を纏った人たちなのだろう、と予想していたがそれは外れる。

父親は見るからに優しそうで、挨拶をした時もにこやかだった。

その微笑みは柚木の素の温かい笑顔と酷似していた為、思わず頬を染めたら隣りに居た柚木に睨まれた事は言うまでもない。

咎める視線が痛くて、失礼に当たらない程度に慌てて父親から目を逸らすと、今度は隣に居た母親に目が留まる。

紫檀色の髪を緩く纏め上げ、仕草の一つ一つがとても優雅な女性だった。

控えめな物腰は、正に大和撫子と賞賛されるであろう。

彼女の芯の強さを表す、一転の曇りもない瞳も魅力的だ。

柚木の容姿は母親似なんだと納得しながらも香穂子は挨拶をそつなくこなす。

一時は和やかな空気に包まれたものの、祖母の到着で場の空気が固まった気がした。

緊張感が高まり、それぞれ向き合った形で座ると堅い口上から始まる。

それが終わると一様に口を閉ざしてしまい、沈黙が訪れて現在に至るのだ―――。




やはり、ここは自分から本題へ切り出すべきかと戸惑っていると、その沈黙を先に祖母が破る。

「・・・・唐突ですが、香穂子さんは何かお稽古事などされているのですか?」

核心に迫る話題に香穂子はドキリと心臓を高まらせたが、一度深呼吸して気持ちを落ち着けた。

―――その事ならば、もう何度も自分に言い聞かせてきたのだから大丈夫。

心の中で呟くと、やがて真っ直ぐ祖母を見据える。

「いいえ」

キッパリと迷いなく答える。

それに対し、祖母は僅かに眉をひそめた。

「・・・何も、ですか?」

「はい。 一時期、学習塾には通っていましたが他には何も習ってはいません」

香穂子は再びハッキリと告げる。

ここに来ると決意してからは、環境の差など気にする事は止めた。

元々柚木は華道家元の御曹司で、自分はごく普通の家庭で生まれたのだから、育った環境が違うのは当然の事。

それは卑下ではなく、変わりようのない事実なのだ。

自分の生活を隠したり偽ったりして認めてもらっても意味がない。

在りのままを受け入れて欲しいから、香穂子も在りのままを話した。

祖母の射抜くような眼差しにも正面から対峙する。

最初に視線を逸らしたのは祖母で、溜め息を一つ吐く。

「・・・・貴女を梓馬の婚約者として認める訳にはいきません」

話にもならない、と言いたげな表情で祖母は言い放つ。

容赦のない一言に香穂子は膝に置いた手をギュッと握り締めた。

都合の良い言葉を期待していたわけじゃない。 寧ろ、これは予想の範疇だった。

祖母の言っている事に理解できるし、家の先導者ならば当然の考えだと思う。

だが、面と否定されて平気な訳でもない。

やはりまだ弱い自分もいて、思考がマイナス方向へと流されそうになる。

―――しかし、不意に自身の体温じゃない温もりが握り締めた手にそっと落ちた。

香穂子の拳を解きほぐすかのように、柚木の手が優しく包み込んでいる。

横を見ると、同じように柚木の表情も優しかった。

声に出さずとも『大丈夫だよ』と言ってくれているのが解る。

こうして何度、この人に救われた事だろう・・・・・・・。

じんわりとした暖かい感情が香穂子の心に広がり、より一層恋しさが募った。

やっぱり、自分には柚木以外の人とだなんて考えられないと確認する。

必然的に不安は掻き消え、決意を新たに祖母へと向き直った。

「どうしたら、私たちの事を認めて頂けますか?」

香穂子は視線を逸らさずに尋ねる。

強い覚悟を秘めた言葉に祖母は――― 一瞬だけ微笑んだ気がした。

だが、直ぐに始めの無表情に戻る。

「そうですね・・・・。 次の週から、土日を含めて毎日ここへ通って下さい。
 華道、茶道、書道などの基本的な芸事や作法はもちろん、他にも足りない教養を身につけて頂きます」

そう言うなり、祖母はいきなり立ち上がって襖に手を掛けた。

そのまま出て行こうとする様子に香穂子は慌てる。

「あ、あのっ・・・」

「それが出来ないようであれば、私もこの婚約を認めるつもりは毛頭ありません」

香穂子の言葉を遮り、背を向いたまま言うと祖母は部屋を出て行ってしまう。

「私、頑張りますっ・・・!! 婚約を認めて頂けるのなら何でもします!!」

パタン、と静かに襖が閉じるのと香穂子が叫ぶのとほぼ同時だった。






再び静まった部屋には、コーンと石を叩く音と、香穂子の少し弾んだ呼吸だけが聞こえる。

息を整えながらも、香穂子の脳内ではパニック寸前だった。

何故、祖母は急に部屋を出て行ってしまったのか・・・・。

そんなに会話もしてない内から、自分は嫌われてしまったのだろうか・・・・・。

だとしたら、一体どうすれば良いのか・・・・・・。

考えれば考えるほど『破談』の2文字が頭から離れなくなる。



「・・・・・・・ふっ」

突然、父親の息を詰めた音が聞こえて香穂子はそちらの方へ向いた。

肩がふるふると震えているかと思えば、声を上げていきなり笑い出す。

「あはははっ・・・! 実に威勢の良いお嬢さんだね!」

その笑いで緊迫した空気は僅かに和んだが、急に笑われた香穂子としては戸惑いを隠せない。

腹を抱えて、とまではいかないが完全にツボに入っている様子に、自分が何か粗相をしたのかと不安になってしまう。

焦って母親の方も確認すると、父親ほど笑いはしていないが面白そうに微笑んでいた。

「あの・・・私、何かやっちゃいましたか・・・・?」

半ば泣きたい心境で柚木を仰ぎ見る。

そんな香穂子の表情を柚木は苦笑しながら、首を横に振った。

「あのおばあ様に対して、初対面でハッキリと自分の意見を言った人は初めてだからね。
 2人供、きっと新鮮な気持ちなんだよ」

「・・・・はぁ・・・」

何だか喜んでいいのかどうか複雑な気持ちでいると、それを察した母親が初めて口を開く。

「誇りに思っても良いのよ、香穂子さん。そういう方はこの家で貴重だもの」

「ああ。 母上自らの修業は大変だろうけれど、これからは私達も出来る限りの協力はするよ」

それは両親が香穂子を認めたという事。

面会前に両親はあくまで祖母寄りな立場だと聞かされていたし、現に二人は祖母と香穂子の遣り取りで一切口出しはしていない。

そんな二人が協力をすると言う事は、少なからず祖母も香穂子たちを認めた事になる。

今までの不安など吹き飛び、今度は嬉しさだけが込み上げてきた。

「はい・・・! 不束者ですが宜しくお願い致します」

満面の笑みで返事をすると、隣りにいた柚木は勿論、両親までも眩しげに目を細める。

「こちらこそ宜しくね。 歓迎するわ、香穂子さん」

「・・・何だか、夢みたい・・・・です」

未だに実感がわかなくて、ぽつりと呟くとそれを柚木にしっかりと聞かれていた。

「コラコラ、夢にされたら僕だって困るでしょう?」

こつん、と拳を香穂子の頭に軽く当てて柚木は苦笑する。

笑って誤魔化す香穂子に対し、柚木は肩を少し竦めた。

そんな他愛もない二人の遣り取りを見て、父と母は微笑ましそうに眺めている。

「ねぇ、あなた。 梓馬は随分と明るくなったわね・・・・?」

「ああ・・・きっと香穂子さんの影響だろう。 あの子たちなら母上も解って下さるさ・・・・」

「・・・・それは、意外と近い将来かも知れませんね」

その言葉に父親は頷いた。

楽しそうに笑っている息子と、その婚約者を見守りながら―――。








***************








それから季節は流れ、今は春。

柚木は希望した大学に受かり、香穂子も3年生になった。

実に1年以上の歳月が経ち、香穂子の卒業も秒読み寸前だ。

あの日の挨拶からずっと柚木家へ通っていた香穂子は、真摯な姿勢で祖母直々に芸事を習って

時には叱られながらも諦めなかった。

その成果もあるのか、めきめきと頭角を現しだす。

今日も学校帰りに柚木家へ立ち寄り、祖母と柚木と3人で花を生けている。

第一印象が『怖い人』だったので、初めは祖母と向かい合って何かする事に緊張してしまったが、今はそんな事などない。

確かに、多くは話さない人だが意外と面倒見がいいのだ。

解らない所があれば丁寧に教えてくれたり、生け花をしてて指に棘が刺さった時も手当てしてくれたり、などと色々とお世話になった。

そして、何時しか香穂子のわだかまりも解けて、祖母とは何の衝突もなく付き合えるようになったのだ。




パチンと花の茎を適当な長さで切り、剣山にバランス良く刺していく。

香穂子は黙々とその作業を続け、同じように柚木も祖母も黙って花を生ける。

最初はそんな沈黙が苦しかったけれど、今は慣れてしまった所為か逆に落ち着く。

ゆったりと流れる時間さえも心地よく思う。

普段、誰もその空気を壊そうとしないが、今回は珍しく柚木が口を開いた。

「・・・・おばあ様。 是非、相談したい事があるのですが」

「何ですか?」

祖母は顔を上げて柚木を見る。

改まった雰囲気に香穂子も思わず姿勢を正した。

「僕が見た限りでは、香穂子は既に充分な教養を身に付けているように思います」

「・・・そうですね。 華道を始め、様々なお稽古事を私も見てきましたが、どれも平均以上と言えるでしょう」

柚木の言葉に祖母は即答して頷く。

因みに『平均』というのは祖母から見た『平均』である。その基準は当然高い。

それでも、香穂子は早く認められたい一心で暇を惜しみ努力し続けた。

だが、祖母の表情は何も変わらないので不安を感じ押し潰されそうだったが、それは杞憂に終わる。

本人の口から『合格』と同義語の言葉を貰えて、香穂子は心底安心した。

しかし、今は喜んで良さそうな雰囲気ではなく、黙って二人の会話を傍聴するだけ。

柚木は一旦言葉を区切ると、少し考える素振りを見せた。

そして、何かを決意したように表情を固くして再び言葉を紡ぐ。

「―――では、改めて僕たちの婚約を認めて頂けますか? 出来れば公けの場で」

「えっ?」

香穂子は驚いて柚木の方へ目を向ける。

彼の瞳は真剣そのもので真っ直ぐに祖母を捕らえていた。

その姿勢に祖母も表情を僅かに緩めて言う。

「良いでしょう、あなた方の好きになさい。 婚約披露宴の予定日は・・・・・香穂子さん」

「は、はい!」

予期せぬ展開になり呆然としてたら、唐突に名前を呼ばれて声が裏返ってしまった。

「貴女の卒業式の翌日は空いていますか?」

「ええ、何も予定は入っていませんけど・・・・まさか、その日に?」

まだ頭の整理がついていないのと、微かに信じられないのとで聞き返す。

さも当然のように肯定されて、不意にじわりと目頭が熱くなる。

(・・・本当に・・・・やっと、認めてもらえたんだ・・・・・)

実感すると涙が溢れて止まらなくなってしまった。

「・・・・泣かないの。 ほら、そんなに強く擦ると目が紅くなってしまうよ?」

柚木は困ったように笑んで、香穂子の涙を着物の袖でそっと拭う。

「だって・・・・凄く嬉しいから・・・」

なかなか泣き止まない香穂子に、柚木は子供をあやすような口調で宥めている。

そんな仲睦まじげな2人を見て、祖母は独り言のようにポツリと呟く。

「―――私は何か大事なことを今まで忘れていたのかしら・・・・」

「え・・・?」

気分も大分落ち着き、祖母の方へ振り返る。

しかし、祖母は首を緩く振っただけで答えてはくれなかった。

「もうこんな時間なのですね。 車を用意させますから、そろそろお帰りなさい」

そう言い残して部屋を出て行く。





「・・・・少し雰囲気が変わったな、あの人」

祖母が退出した途端に柚木は不思議そうに言った。

香穂子が見上げると柚木と目が合う。

「これも、お前のお陰かな」

柚木はクスリと微笑すると、香穂子の額にキスを一つ落とした。

「・・・ありがとう、香穂子」

「何がですか・・・?」

紅くなった顔を隠すため柚木にしがみつく。

その背に腕がまわって、更に抱き寄せられた。

「俺の想いに応えてくれて、ありがとう・・・・」

「そんなの―――こちらこそ、ありがとうございます」

二人は互いの体温を分かち合うように、車の準備が整うまで寄り添い合っていた。






***************






――――1ヶ月後。

無事、昨日卒業式を終えた。

約束通り婚約披露宴は催され、内輪だけのささやかなパーティーとなる。

しかし、分家が多いため『ささやか』と言っても参加人数は千人を超えていた。

着慣れない高級そうなドレスに何度つまずきそうになった事か・・・・。

その度に柚木がさり気なく支えていたので、全て未然に防がれたのだが。

「緊張してる?」

そう問われて香穂子はうっと言葉を詰まらせる。

こんな一流ホテルを貸し切って、その上BGM代わりに有名な交響楽団を呼ぶパーティーなど参加した事などない。

これで緊張しない人間が居たら師匠と崇め奉ってもいい。

だが、香穂子にだって意地とプライドがある。

「・・・・平気です。 梓馬さんの家へ挨拶しに行った時と比べれば」

気丈に振舞って言い返せば、柚木は意地の悪そうな笑顔を浮かべた。

「その割にはずっと手が震えてるぜ?」

突っ込まれたくない所を突っ込まれて、香穂子はキッと柚木を睨みつける。

「梓馬さんっ!」

「そんな顔しないの。 どんな時でも笑顔は基本だろ」

クスクスと明らかに面白がっている柚木を見て、何か文句を言ってやろうかと思ったが、そこへ雅が現れたので諦めた。

「お兄さま、お義姉さま〜!」

淡いピンク色の可愛らしいドレスに身を包み、とても中学生とは思えないほど大人びていて綺麗だった。

「ご婚約おめでとうございます!! あのおばあ様が公認なさるなんて、流石お義姉さまね」

その瞳は本当に嬉しそうで、見ているこちら側も自然に笑顔が誘われる。

「ありがとう、雅ちゃん」

「ふふっ。 あ、今夜はうちに泊まるのでしょう?」

「いや、ホテルの一室を取ってあるからね。 今夜は僕たち帰らないんだよ」

「そうなの!? ・・・・折角、お兄さまとの馴れ初めを聞けると思ったのに・・・・」

シュンと俯く雅に二人は苦笑して『また今度泊まるから』とご機嫌とりに回った。

すると、直ぐに機嫌を良くして『絶対よ!?』と嬉しげに念を押す。

(可愛いなぁ、雅ちゃん・・・・)

香穂子は末っ子なので、妹と呼べる存在がいなかった。

だから、こうして慕われると凄く嬉しい。

「次は雅ちゃんの顔を見に遊びに行くね」

「嬉しいっ! 楽しみに待っているわ!」

香穂子が微笑むと、雅も満面の笑みで抱きつく。

本当の姉妹より仲良くなった二人を見て、柚木は複雑そうに溜め息を吐いた。

「・・・・少し妬けるね」

そんな柚木の言葉は賑やかな館内の中では掻き消される。





突然BGMが止まり、照明までも落ちた。

一つのスポットライトが壇上の司会者を照らし、香穂子たちに対する祝辞が述べられる。

「さぁ! ここで梓馬さまと香穂子さまによる、生合奏をご披露して頂きたいと思います!!」

司会の言葉と共に、柚木と香穂子にスポットライトが当たった。

「梓馬さんっ・・・聞いてませんよ! こんな話!!」

「俺も聞いてないよ。 今が初耳」

「じゃあ、どうするんですか・・・!?」

香穂子たちは周りに聞かれぬよう小声で話し合う。

動転してしまっている香穂子に対し、柚木は冷静だった。

「どうって、やるしかないだろう? 楽器も向こうで用意されているみたいだしな」

「でも、曲は何を・・・・?」

「愛の挨拶」

即答した曲に香穂子は目を見張る。

驚いている香穂子に、柚木は困ったような照れたような表情で微笑した。

「―――俺が聴きたいんだよ。 もう一度、香穂子の『愛の挨拶』をね・・・・・」

「・・・・梓馬さん」

「さぁ、お手をどうぞ」

柚木は右手を胸に添え、左手を香穂子に差し出す。

その仕草は童話などに出てくる王子そのもので、思わず見惚れてしまうくらいに格好良い。

香穂子はそっと手を乗せると、そのまま柚木はステージまでエスコートした。

上に登ると香穂子はヴァイオリンを構え、柚木はピアノに向かう。

そして、二人でタイミングを目配せして柚木が伴奏すると、香穂子もゆっくりと弦を引いた。

大切な曲だからこそ、丁寧にゆっくりと・・・・・。

二人の想い出がたくさん詰まった優しい愛の旋律が広い会場内に響き渡り、聴く者すべての心を和ませた―――。















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★あとがき★

やっと完結致しました〜!!
ここまで読んで下さった皆様、本当に有難う御座います!
初めは2〜3話の予定だったのですが、何でこんなにずれちゃったんでしょうね?(聞くなよ)
またこの設定で番外編など書けたらいいなって思います。


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