忘れえぬ想い
<香穂子SIDE>
放課後の廊下を香穂子は白い封筒を手に持ち、重い足取りで屋上へと向かっていた。
否、屋上ではなく、屋上の扉前にある薄暗い階段こそが目的地だ。
「・・・・何でよりにもよって、放課後・・・」
一人文句を言いながら、だらだらと歩いていく。
「かーほっ!!」
そこへ明るい声と共に肩をばんっ、と無遠慮に叩かれた。
「天羽ちゃん・・・・」
香穂子の無二の親友、天羽菜美は元気がない香穂子を察して声を掛けに来たのだ。
「どうしたの? 暗い顔しちゃってさぁ」
ふと香穂子の手に封筒が握られているのを見て、天羽の第6感がピンと閃く。
「は〜ん? さては、柚木さんという者がありながら告白されに行くんだ?」
モテる女は辛いねー、と茶々を入れながら楽しそうな天羽に香穂子は首を横に振った。
「・・・それもそれで後が怖いけどね。 残念ながら、信者様のお呼び出しだよ」
それを聞いて面白そうに笑っていた天羽は途端に心配そうな顔になる。
「呼び出しって・・・あんた今月、何度目? エスカレートしているようなら柚木さん呼ぼうか・・・?
いつも通り帰る約束しているんなら正門前で待っているんでしょ?」
「それは平気だよ。 黙っていれば向こうも気が済むらしいから。
ただ、先輩に遅れるって事だけ伝えといてくれる?」
そう言って背を向け歩き出す香穂子を天羽は顔を曇らせて見送っていた。
先程の勘は当たらなかったけれど、今度はもの凄く嫌な予感がする。
天羽は心の中で自分の勘が再び外れることを祈りながら、こっそりと香穂子の後をつけた。
**********
<柚木SIDE>
「遅いな・・・」
柚木は何度も時計を見遣りながら小さく呟く。
待たされるのは嫌いだけれど、何故か香穂子を待っている時は苛つかない。
それどころか、逸る気持ちでいつも彼女の姿を探している。
香穂子が息を切らせながら走ってくると、嬉しい気持ちもあるがつい虐めたくなってしまう。
香穂子の反応が面白くて――――可愛くて、もっと色んな表情を見たいから虐める。
今日はもう10分も待っている。
どうやって揶揄しようか考えていると、後ろから自分を呼ぶ声が聞こえた。
「柚木さ〜ん!!」
その声は香穂子ではなく、その親友である天羽だ。
正直、柚木は天羽が苦手だった。
インタビューと言ってはなかなか侮れない質問ばかりしてくる上、とにかくしつこい。
今のところ適当にあしらっているが、香穂子を使って探りを入れられる時は本当に参る。
因みに、香穂子と付き合って一番最初に気付かれたのは天羽だった。
柚木は得意の猫を被って、天羽を笑顔で出迎えた。
「やぁ、天羽さん。 そんなに急いで、どうかしたのかい?」
いつもの突撃インタビューかと思えば、何だか様子がおかしい事に気付く。
「香穂が・・・香穂が・・・っ!!」
その言葉に一瞬、冷水を浴びせられた様に思考が停止したが、天羽も動転していて今は固まっている場合じゃない。
天羽を宥めて、事情を聴く。
放課後、柚木のファンに屋上前の階段に呼び出された香穂子はいつも通り余計な事は言わず罵られ続けていた。
けれど、その内の一人が少し前に森の広場の陰でしたキスを偶然見た、と言い出しその場はヒートアップしたと言う。
天羽が見ていたのはそこまでで、後は危険を感じて柚木に急いで知らせたのだった。
「・・・・助けに出ようと思ったんですけど、余りに状況が酷くて・・・それで柚木さんに・・・」
心なしか天羽の顔色は悪かった。
それでなくても、今の状況がどんなに悪いか柚木は容易に想像できる。
「解った。 知らせてくれてありがとう、天羽さん」
天羽はまだ柚木に言い募ろうとしたが、その眼を見た瞬間何も発言出来なかった。
口調はいつも通り穏やかだが、その瞳は見た者を萎縮させる程の殺気が篭っている。
固まっている天羽を置いて、柚木は香穂子の呼び出された場所へと駆けて行った。
急いで屋上へと続く階段を駆け昇っていくと、上の方から言い争う声が聞こえてくる。
柚木は更に速度を早めて、徐々に鮮明になる声と同時に抑えきれぬ憤りを感じた。
ここまでする親衛隊達の行き過ぎた行為に対する怒りと、一人で何でも解決しようとする香穂子への不安。
そして何よりも、こんな最悪な事態になるまで気付けなかった自分自身への蔑み。
何で香穂子は俺を頼らない・・・・・?
どうして俺はたった一人の、一番大切にしたい女すら護れない・・・・・・・・?
柚木は悔しさに奥歯をギリと噛み締めた。
あと一階分を昇れば屋上に辿りつく。
「ちょ、やめ・・・っ!」
「うるさいわねっ! 柚木サマだっていい迷惑よ、貴女みたいな女に付き纏われて!!」
親衛隊の一人が香穂子の肩を強く押した。
段差のギリギリに立っていた香穂子はバランスが取れずに、そのまま頭から落下した。
香穂子の短い悲鳴と、それに続く親衛隊の女生徒達の悲鳴を聞きつけた柚木は嫌な予感を感じつつも階段を見上げる。
「あ・・・っ、柚木サマ・・・・」
顔面蒼白な彼女達は柚木とその足元を交互に見ていた。
その視線を追って柚木も自分の足元を見る。
先ず最初に認識できたのは緋色の長い髪。
投げ出された細い腕。
「・・・か、ほこ・・・・?」
ぐったりと横たわっている香穂子は柚木の呼びかけにピクリとも反応しなかった。
震える手で香穂子の身体をそっと抱き寄せる。
「嘘、だろ・・・? 目開けろよ・・・・ねぇ、俺を見て・・・・っ!」
声が情けなく掠れるのも、人前で素に戻っている事もどうでもいい。
理解が出来ない――――いや、したくなんてない。
柚木が暫く放心していると、香穂子を突き飛ばした女子が騒ぎ始めた。
「じゃ、ない・・・・! 私の所為じゃないっ・・・・日野さんが、勝手に・・・!!」
「・・・・黙れ」
「・・・・・っ!?」
柚木が低く唸るような声で言うと、ピタリと口を噤んだ。
否、驚きで声が出なかったのだろう。
冷静さを取り戻した柚木はポケットから携帯を取り出すと「119」を押して救急車を呼ぶ。
そして簡潔に事情を説明すると電話を切って、細心の注意を払い香穂子を抱き上げた。
まるで彼女たちの存在を排除したかのように無視して歩き出す。
「・・・あ、あのっ! 柚木サマ!!」
居たたまれなくなった親衛隊らは勇気を振り絞って柚木に話しかけた。
柚木は剣呑な眼差しを向けて一瞥すると、普段の様な穏やかな表情でも、香穂子だけに見せる意地悪な表情でもなく
心底から侮蔑するような怜悧な表情で言う。
「目障りだ。 今後一切、俺の周りにも・・・勿論、香穂子の周りもウロつくな。
もし、また現れたら――――お前らをこの学院に居られなくしてやるよ」
それが狂言でない事は、今まで柚木を追いかけていた彼女たちがよく解っているだろう。
何人かの生徒を簡単に退学させられる程、柚木家の存在は大きいのだ。
「・・・何で・・・? 何で、その娘ばっかり庇うんですかっ?
・・・・・私たちの方が柚木サマをずっと見てきたのに!!」
その言葉に柚木はクッと冷笑を浮かべる。
「見てきた? 今の俺を見て驚いているのに?
理想の王子様なんて、所詮は作り物だよ。 夢は寝てから見るんだな」
信じてきたものが突如として壊され、彼女たちにはもう何も言う気力はなかった。
そして柚木もまた、彼女たちによって一番大事なモノを壊されたのだ。
もう優しくしてやる義理もないし、あるのはやるせない想いだけだった。
**********
「・・・香穂子・・・・」
病棟の一室で柚木は眠っている香穂子の手をずっと握っていた。
医師の話によると、落ちた時に頭を強打した割には特に目立った外傷もなく、あとは意識が戻れば問題はないという事だった。
けれど、それとは別に身体の打ち身もあるので、安静も兼ねて一週間の入院が余儀なくされたのだ。
柚木と共に病院へ来た天羽も辛そうに香穂子を見て、柚木に謝る。
「ごめんなさい。 私がもっと早くに知らせていれば、こんな事には・・・・」
それに対して柚木は静かに首を振った。
「いや、天羽さんの所為じゃないよ。 元々の原因を作って、それを対処出来なかった僕にも責任がある」
そう言ったきり、二人は会話をやめた。
何をどう言っても香穂子の身体の傷は癒える訳じゃないから。
暫くの間、沈黙が続く。
柚木は香穂子の髪を撫でたり梳いたりしていたが、右手の繋いだ手だけは絶対に離さなかった。
それをずっと見ていた天羽は、ふと少し微笑む。
セレクション中、香穂子の柚木に対する態度が急に変わりだして一時期はどうなるかと心配もしていた。
けれど、それは杞憂に終わった。
今の柚木を見ていれば、どれだけ香穂子の事を気に掛けているか解るから。
「・・・・大切に想っているんですね、香穂の事・・・」
いきなり話を振られて少し驚いた顔をした柚木は、次に微笑んだ。
「前はたくさん傷つけてしまったけれどね・・・。 今はなくてはならない存在だよ」
これは柚木の本音。
セレクション当初は潰す事だけ考えていたのに、気が付いたら惹かれていた。
健気で、一途。 でも決して人に甘えようとはしない。
そんな所を好きになったのだけど、時には頼って欲しい・・・・。
少しだけ握っている手に力を入れると、僅かだがピクンと指が跳ねた。
「・・・っ! 香穂子!?」
「香穂・・・!!」
柚木と天羽がほぼ同時に名前を呼ぶ。
「・・・・・・」
香穂子はまだ覚醒しきっていないのか、ぼんやりと二人の顔を見ているだけ。
「香穂っ! 私、解る!?」
「・・・・・・・・」
天羽は涙を堪えながら懸命に話しかける。
だけど、当の香穂子はそんな天羽を無表情で見つめるだけで答えない。
「・・・香穂子?」
柚木はいつまでも反応を示さない香穂子を怪訝に思い、恐る恐る名前を呼んだ。
今度はゆっくりと柚木の方へ顔を上げると、本当に小さな声で漸く喋った。
「・・・・か・・・」
「え?」
聞こえなくてもう一度聞き返す。
「・・・・あの・・・誰、ですか・・・・?」
その言葉に二人とも凍りついた。
Next
**********
★あとがき★
親衛隊とのやり取りを書くのは楽しいけど・・・・実際にこういう人が居たら最悪ですね(汗)
香穂ちゃんも大変だなぁ・・・ってか、下手したら死ぬし!!
記憶喪失ネタも好きだけど、死にネタも結構好きvv
・・・でもネオロマだし、そこまでの技量もないんで無理ですけど。
だから、そういうシリアスは見るの専門。
それが一番楽だしね!!(コラ)
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