四月の嘘






「リリ様のバカ! 大ッ嫌い・・・!!」

「ちょっ・・・リース! 待つのだ!」

ピンク色した可愛らしい容姿のファータ ―― リース ―― は、泣きながら姿を消した。

「・・・まったく、気性が激しいヤツなのだ・・・」

残されたリリはその場で盛大な溜め息を吐く。

先程、長い人生で初めて告白というものを受けたのだが、今はリリ自身にその気持ちはなかった。

それを正直に言ったらリースは泣きながら逆上し・・・・・現在に至る。

一応追いかけた方が良いのか?、と悩んでいたら今度は青色のファータに声を掛けられた。

「リリ様〜! 大変です〜!」

何やら急ぎの用事らしく、リリはリースの捜索を諦めてそちらに向かった。

リリが去った後、近くにあった木からガサッと音がして、隠れていたリースがひょこっと顔を出す。

「リリ様・・・私を探しても下さらないなんて・・・やっぱり大嫌いです!」

大きな瞳をうるうると潤ませた姿はもの凄く可愛い。

しかし、いくら可愛い音楽の妖精と言えど・・・・心はやはり人間の女性と何も変わらない。

傷心した女性ほど怖いものはないのだ。

「リリ様がその積もりなら、私だって仕返ししてやるんだから!」

そんな物騒な事を言いながら色々と思考を巡らしていると、リースの居る木の側を見知った顔が通り過ぎる。

「・・・・あれは確か、柚木梓馬・・・・」

一人で居るなんて珍しいな・・・なんて思っていたら、ある計画が頭に浮かんだ。

リースはクスリと小悪魔的な笑みを零すと、柚木の去って行った方向へ飛んでいく。

それが後に大変な事態を巻き起こすとは、現段階では誰も予想しなかったであろう。

・・・・ただ一人、計画者であるリースを除いて。










***************










『ごめんなさい! 今日も一緒に帰れそうにありません・・・』

先程、香穂子に言われた言葉を柚木は脳裏で思い返す。

この台詞を聞いたのは今日を含めて何度目だったか・・・・・。

数えるのも億劫になる程には言われ続けている。

初めの何日かは特に気にしなかった。

用事が立て込む事は誰にだってあるし、数日一緒に帰れないくらい別にどうって事もない。

しかし、送ったメールはなかなか返信されず、されても次の日に跨る事が多くなった・・・・。

自分は避けられているのか・・・と不安を覚えたが、本人にその様子は全く感じられない。

朝の登校だけは一緒にして、会話だって別に不自然な所はないのだから。

それで一層、香穂子が解らなくなった・・・・。

何を考え、何を思っているか全て顔に出る香穂子なのに・・・・今は全然解らない。

自分に原因があったのだろうかと振り返れば、心当たりが多過ぎて一体何が原因だったのか見当もつかなかった。

―――もう、自分達はダメなのかも知れない。

漠然とした考えが一瞬頭を過ぎって、柚木は熱くなった目頭を押さえた。

たかが恋愛事で・・・・それも、確たる証拠もなしに決め付けだけで泣くなんて情けがない。

そう自分を叱責しても遣り切れない想いだけは殺せなかった。

「・・・柚木梓馬! こんな所に居たのね、探したわっ!」

突然、甲高い声に名前を呼ばれて柚木は表情を作る為、瞳を閉じる。

沈んでいた気分の所為で普段の笑みを浮かべるのに、少しだけ時間が掛かってしまった。

「・・・・君は? 初めて会うファータ・・・だよね?」

「ええ、そうよ。 私はリース。 よろしくね!」

そう言ってウィンクする姿は様になっていて、正に美少女と呼ぶに相応しい容姿をしている。

「こちらこそ、よろしく。 僕は・・・・」

「知ってるわ、柚木梓馬」

柚木の自己紹介を遮ってリースは意味深に微笑む。

「・・・そして、貴方の悩んでいる事の真実も知っているわ」

その言葉に柚木は驚いて、目を見開いた。

「ふふっ・・・知りたい?」

問われて暫く躊躇したが、やはり最近の香穂子は気になる所が多いので柚木は静かに頷く。

「・・・・教えてくれるかい?」

「いいわよ。 でも、ショックを受けないでね。 日野香穂子は・・・・」

リースから聞いた事実に柚木は目の前が真っ白になった。

最も信頼すべき人が、まさか自分を裏切るなんて。

裏切って――― 他の男と逢っていた・・・なんて。

嘘だと思いたかったけれど、これならば辻褄が全て合ってしまうのだ。

一緒に帰れない理由も、メールの返信が遅い理由も、全て・・・・。

柚木はギュッと拳を握り締めて、どす黒い感情が逆流しないように押し留める。

リースはそんな柚木を見て、考え込むようにポツリと呟く。

「・・・・日野香穂子は、きっと貴方の事も本気で好きなのよ。 じゃなきゃ中途半端に繋ぎ止めておかないもの」

――― 何、それ。

『どちらも好き』 なんて、どんな裏切りよりも最低だ。

自分は香穂子だけを必要としているのに・・・・。

柚木はあまりの不快感に眉根をきつく寄せた。

「・・・・。 教えてくれて、ありがとう。 僕はそろそろ失礼するよ」

その内容は 『ありがとう』 なんて、とても言えない事だったけれど・・・・・・。

心の中でそう呟き、リースに背を向け足早に去る。

「柚木梓馬」

再び名前を呼ばれ、立ち止まって振り向く。

本人に自覚はないのだろうが、作っていた笑顔の仮面はとっくに消えて無表情になっている。

「・・・・いいえ、何でもないわ」

「・・・そう」

柚木は短く言うと踵を返し、再び歩き出した。

その後ろ姿が見えなくなった頃、リースはまたクスリと笑む。

あの、小悪魔的な表情で。

「柚木梓馬・・・今日は年に一度の 『嘘を吐いても良い日』 なのよ・・・?」










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その日の夜、今日は珍しく香穂子からのメールが届いた。

内容は最近一緒に帰れない事への謝罪と、明日からはまたいつも通りに下校出来る・・・・という事だった。

今となっては白々しく思え、柚木は返信せずに携帯の電源を切る。

このまま起きていても苛立ちが高まる一方なので、早めに就寝する事にした。





―――― 翌日。

支度を整え終わった柚木は、リムジンの広々とした後部座席に乗り込む。

「・・・ああ、そうだ。 今日からは真っ直ぐ学校に向かってくれ」

「は、しかし・・・・」

「いいから」

いきなりの事に困惑した運転手は返事を濁すが、柚木の有無を言わせぬ言葉に頷いた。

しかし、普段は余計な事など口にしない彼がポツリと寂しそうに呟く。

「・・・・梓馬様は・・・昔に戻られてしまいましたね・・・」

「どういう意味?」

「・・・いえ、ただの独り言です。 ご不快に思われましたら、申し訳御座いません」

「・・・・・・別に」

そんなの、言われなくても解っている。

全てが元に戻っただけだ。

――― 香穂子と出逢う前に、戻っただけ・・・・。

柚木はそこで考える事を止めた。

あれだけの裏切りを受けたというのに、未だ女々しく引き摺っている自分が滑稽過ぎて笑える。

窓の外を見れば、香穂子の姿を探してしまう自分が。

普通科の制服を着た女子生徒を見れば、香穂子を重ねてしまう自分が。

「・・・・馬鹿だな。 病んでる・・・」

瞳を閉じてても香穂子の残像が消えない自分に一番嫌気が差した・・・・・。








学校に着いたけれど、朝から授業を受ける気分でもなく火原に保健室へ行くと言って教室を抜け出した。

付いて行くと言う申し出をやんわりと断って、その足で保健室ではなく屋上に向かう。

朝のHR前の屋上は当然ながら誰も居ない。

風も心地よく、陽当たりも良いので手摺りに凭れて景色をボーっと眺める。

すると、遠くの方で人の駆けて来る足音が聞こえた。

この足音には聞き覚えがあり、柚木はまさか―― という気持ちで後ろを振り返る。

同時に扉が思いっきり開かれて現れたのは・・・・やはり、香穂子だった。

「柚木先輩っ・・・探しましたよ! 今朝はどうして一人で行っちゃったんですか!」

息切れの中、香穂子は恨みがましそうな瞳で柚木を睨む。

どうして、なんて・・・こっちが聞きたいくらいだ。

――― どうして俺より他のヤツなんかに目を向けるんだよ、と・・・・。

けれど、もういい。

言い訳など聞きたくもないし、詮索する理由さえ・・・もう無いのだから。

「・・・・日野さんこそ、どうして此処へ? もう朝のHRが始まってしまうよ」

「・・・え・・・柚木先輩?」

柚木の態度に香穂子は瞳を大きく見開いた。

「わ、私っ・・・先輩を怒らすような事、何かしました・・・?」

何かしたかって・・・本気で言ってるの?

それとも、自分が気付いていないと思っているのだろうか・・・・。

必死に考えを巡らせている彼女を見て、どす黒い感情が再び首を擡げた。

何故だかむしょうに・・・・傷付けてやりたい。

自分が傷付いて、絶望したように ――― 香穂子も絶望し、泣けばいい。

以前ならば絶対にさせたくない顔だったのに、人間は気持ち一つでこんなにも醜くなれる事を初めて知った。

「怒るも何も・・・僕と君は関係が無いじゃない」

「え?・・・どういう・・・」

「そのままの意味だよ。 僕達は恋人同士じゃないんだから僕が怒る理由なんて一つもないでしょう?」

ついでに、僕が先に学校へ行っても君に怒られる理由もないんだけどね・・・・と言えば、香穂子はくしゃりと顔を歪ませた。

柚木は胸の痛みに、あえて気付かない振りをする。

突然切り出された別れ話・・・・いや、別れた事を前提に話される内容を香穂子は虚ろな瞳で聞いていた。

そんな香穂子の表情を見て柚木は、もっと傷付けたい・・・と醜く歪んだ思考に囚われる。

「・・・どうして・・・あんなに愛してるって・・・!」

悲痛な面差しでブレザーに縋りつく香穂子の手を、柚木はパシンと音を立てて振り払った。

「お前なんか、大嫌いだよ」

「・・・・・っ」

だらりと手は力を失い、震えていた足も気が抜けたのかペタリとその場にしゃがみ込む。

柚木は抜け殻のようになってしまった香穂子を一瞥して、屋上を後にした。










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「・・・柚木梓馬。 ちょっと話したい事があるのだ・・・」

放課後の教室で、まだ人気のある時間にリリに呼ばれ・・・・とりあえず人気のない所に移動した。

「――― 話って何かな? リリ」

「そ、それが・・・実は・・・日野香穂子の件なのだが・・・・」

歯切れ悪く切り出された話題に柚木は思わず眉を顰める。

「その話なら、もう僕には関係のない事だよ」

「あるのだ! 関係大アリなのだっ!!」

突然大声で叫ばれ、キーンと耳に響いた。

「・・・解ったから大声は出さないで欲しいな・・・」

「じゃあ、話を聞いて欲しいのだ! ――って言うか、聞け〜!!」

未だ喚き続けるリリはこちらの事情などお構いなしに強制する。

この妖精はどうしてこんなにも強引なのだろう・・・と、柚木は内心溜め息を吐いた。

「リリ、落ち着いて・・・ちゃんと聞くから・・・」

仕方なしに言うと、リリはパァっと表情を明るくする。

けれど、それも一瞬で笑顔を引っ込め・・・今度は申し訳なさそうな顔になった。

「・・・っと。 我輩は喜んでもいい立場じゃなかったのだ・・・」

「リリ?」

「・・・柚木梓馬・・・本っっ当に申し訳ない事をしたのだ! 部下の罪は上司である我輩の罪でもあるのだ・・・!」

いきなり謝った小さな妖精は柚木に向かって深く頭を下げる。

しかし、相変わらず話の読めない柚木は何に対してリリが謝っているのか、皆目見当も付かない。

「・・・とりあえず、顔を上げてくれるかい? 僕には何が何だか・・・・」

「・・・・そうだな、ちゃんと順を追って説明するのだ。 でも、その前に――― リース! そこに居るのだろうっ!!」

リリが何も無い空間に向かって怒鳴ると、その空中から見覚えのある光が生じた。

「・・・っリリさまぁ〜〜〜・・・」

泣きながら姿を現したリースは以前の高慢そうな態度ではなく、しおらしく顔を伏せている。

思わず同情をして庇ってやりたいような魅力のあるリースを見ても、リリは怒りの表情を変えなかった。

「お前は泣けるような立場じゃないだろう! 自分のした事は自分でちゃんと責任を持つのだ!」

半ば蚊帳の外の状態になっている柚木は困惑の眼差しでリースを見る。

何かを覚悟するかのように深呼吸を繰り返した彼女は、やがて柚木に向き直った。

「・・・・謝って済むような事じゃないけれど、本当にごめんなさいっ! 全部嘘なの・・・日野香穂子は何も悪くないのっ!」

「どういう事?」

「私っ・・・リリ様に振られた事が許せなくて・・・仕返ししたくて・・・・そんな時、柚木梓馬・・・貴方を見つけたの・・・」

「・・・・うん」

嗚咽交じりに語るリースの言葉に柚木は耳を傾ける。

「昨日は 『嘘の日』 だったから、日野香穂子は別の男と逢っているっていう嘘を言ったの・・・。
貴方たちはリリ様が仲介したカップルだったから、その仲を裂いちゃえばリリ様に仕返しが出来るって思って・・・・」

だんだんと見えてきた真実に、柚木は背筋を凍らせた。

今まで香穂子を傷つけた自分の言葉の数々が走馬灯のように駆け巡って、最後に見た香穂子の表情が脳裏に浮かぶ。

――― どうして彼女を信じてやらなかったのだろう・・・・。

今更後悔しても全て遅過ぎるかも知れないけれど、それでも。

「・・・・僕、香穂子を探してくるよ・・・・」

リースの話はまだ続いているみたいだったけれど、このままじっとなんてしてられなかった。

一刻でも早く香穂子を見つけて謝りたい・・・・その思いだけが柚木の胸中を占めて廊下を駆け出す。










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★あとがき★

予想以上に長くなっちゃったので切断。
・・・にしても、悪戯妖精・ファータ・・・悪戯の限度を超えています(汗)
エイプリルフールなのに暗いよ!
次で香穂ちゃんの行動の謎も、二人の恋の行方も明らかに。