四月の嘘






「・・・・そうですか。 解りました、有難う御座います・・・」

柚木は通話を切って携帯を折り畳む。

香穂子の自宅に電話してもまだ家には帰っていないらしく、下駄箱にも靴はなかった。

という事はまだ街に居るという事なのだが、外は生憎の雨・・・・。

先程から雨足も強まってきている。

香穂子が濡れて寒い思いをしていなければいい・・・と祈りながら、柚木も急いで靴に履き替えた。

生徒玄関の入り口に差し掛かると、普段は正門前で待機している運転手が立っている。

「梓馬様、傘をお持ち致しました」

「香穂子・・・香穂子に会わなかったか・・・!?」

「えっ? いえ、お見掛けしておりませんが・・・・」

柚木の慌てた様子に驚いたのは一瞬で、彼は申し訳なさそうに首を振った。

「・・・そうか・・・。 傘、貸して。 車は連絡したらそこに回してくれ」

落胆した柚木は早口にそう告げると、運転手の持っていた傘を半ば奪うように取ると外に駆け出す。

「梓馬様っ・・・!!」

制止を促す声を無視して、柚木はそのまま正門を出た。





香穂子の行きそうな場所を手当たり次第に探したけれど彼女は見つからなかった・・・・。

時間ばかりが経過して、天候が悪い所為か6時半を過ぎた頃には既に外は暗い。

春と言えど雨の日には冷え込むので、傘を持つ手は悴んでもう感覚などなかった。

――― 流石にもう帰宅しているかも知れない。

柚木はそう思って再びポケットから携帯を取り出す。

歩きながら携帯を操作していると、雨の音に混じって微かにギィ・・・ギィ・・・というブランコを漕ぐ音がした。

それは近くにあった公園から聞こえてくる。

こんな雨の日に一体誰が遊んでいるのか、と不審に思って中を覗けば・・・・そこに香穂子は居た。

どしゃ降りの中、傘も差さずにブランコを緩く漕いでいる。

「――― 香穂子・・・・っ!!」

叫んでも耳に届いていないのか、反応はない。

側に駆け寄って香穂子の頬に触れたら、その肌は氷のように冷たかった。

「・・・お前・・・傘も差さないで、こんな場所にどのくらい居たんだよ・・・!」

「・・・・・・」

問い掛けても返答はなくて、瞳も焦点が定まっておらず虚ろなまま。

そんな姿が痛々しくて・・・・けれど、そうさせたのは間違いなく自分自身で・・・・。

柚木は堪らずに髪から制服までぐっしょりと濡れている香穂子を強く抱き締めた。

「・・・っごめん・・・ごめんね、香穂子・・・・ごめん・・・っ」

「・・・・ぱ・・・い・・・・・」

腕の中で何事か呟いた香穂子はそれきり意識を手離した。

「香穂子・・・っ!?」

急に倒れた彼女を心配して覗き込むが、聞こえた寝息にホッと安堵の息を吐く。

そして柚木は持っていた携帯で運転手に連絡を入れた。









**************










「・・・・香穂子・・・」

柚木は未だ布団の中で眠り続けている香穂子の手を握っていた。

部屋の設定を上げて服を取り替えた為、殆どなかった彼女の体温も徐々に戻ってきている。

柚木も雨に濡れていたので風呂に入るよう勧められたが、それを断ってずっと香穂子の側に居続けた。

目を覚ました時、一番初めに自分を映して欲しかったから・・・・。

我ながら何処まで自分勝手なんだ・・・と呆れてしまうけれど、香穂子とこのまま終わりたくなんてない。

せめて誤解していた事実を香穂子本人の口から聞きたかった。

「もう今更・・・かも知れないけれど・・・」

自嘲気味に呟いた柚木はギュッと香穂子の手を握り直す。

すると、僅かだがピクッとその指先が反応する。

「・・・ん・・・」

香穂子は軽く呻いて閉じていた瞳を薄く開いた。

「・・・・香穂子?」

呼び慣れている筈の名前が・・・掠れる。

香穂子はゆっくりと声の方へ振り向く。

まだ半分夢から醒めていないのか、呆けたまま瞳の焦点は合わないけれど、確かに唇は 『柚木先輩』 と言っていた。

「・・・香穂子・・・そう、俺だよ。 ・・・・解る?」

声を掛けると目が完璧に覚めたのか、今度は大きく瞳を見開いた。

「・・・・っあ・・・」

香穂子は勢いよく上体を起こすと、布団から出て柚木の目の前を横切る。

「待てよっ・・・」

部屋から飛び出そうとする香穂子の身体を柚木は無意識に捕まえていた。

「やだ、離してっ! 離してよぉ・・・っ!!」

必死に身を捩って抵抗する香穂子をギュッときつく抱き寄せて柚木はその唇を奪う。

「んんっ・・・!」

突然のキスに香穂子が驚いたのは一瞬で、直ぐにまた暴れだした。

けれど、口付けがだんだんと深くなる度に抵抗する力も弱まっていく・・・・。

「・・・ん・・・ぅ・・・っ」

飲み込めなかった唾液が口角から零れ落ち、香穂子は溜め息のような熱い吐息をついた。

柚木は角度を変えて何度も何度もキスを繰り返すと、香穂子の膝が途中で力を失う。

ガクンとその場に座り込んだ途端、堰を切ったように泣き出した。

「ふっ・・・う、あああぁぁ・・・っ」

「ごめんね、香穂子・・・本当にごめん・・・嫌いになんて、なれる訳がない・・・」

柚木は痛ましい顔をして、香穂子の頬を濡らす涙を吸い取り、目元や額など・・・いたる所に優しい口付けを落とした。















「・・・・落ち着いたか?」

香穂子は柚木が持って来てくれた濡れタオルを腫れた目に宛がいながら頷いた。

そんな香穂子を自分の胸に引き寄せて、自嘲気味に呟く。

「俺、誤解してた・・・。 暫く逢えなかった日に、お前は浮気してたんだって・・・・思ってた」

「・・・浮気? ――― って、えぇっ!?」

予想通り、盛大に驚く香穂子にまたお詫びのキスを落として苦笑する。

「馬鹿だろ? 少し考えれば解る事だったのに。 ・・・・でもね、お前の事となると余裕なんて無くなるんだ」

「・・・柚木先輩・・・」

その熱烈とも言える告白に香穂子の胸は高鳴り、頬が一気に熱くなった。

紅い頬をタオルで冷ましながら、香穂子もずっと逢えなかった理由を打ち明ける。

「本当は私、ずっと短期のバイトをしてたんです。 先輩にはわざと内緒にして」

「・・・・バイト? 何か欲しいものでもあったのか?」

疑問符を浮かべる柚木に曖昧な返答をして、香穂子は自分のバッグを手元に引き寄せた。

「うわ、凄い濡れてる・・・大丈夫かなぁ・・・」

中まで水が浸透している事を気にしながら柚木にラッピングされた小さな箱を手渡す。

「・・・・俺に?」

「はい、開けてみて下さい」

言われるままにリボンを解くと・・・・・。

「・・・これ・・・!」

箱の中にちょこん、と置かれた茶色のオルゴールを見て柚木は心底驚いた。

「前に先輩欲しいって言ってたでしょう? 私のお小遣いだけじゃ足りなかったから ―――わっ!?」

柚木は香穂子が全て言い終わらぬ内にキツく抱き締める。

自分でも持て余してしまうくらいの愛しさが込み上げ、柚木は咄嗟の言葉も出なかった。

「・・・ありがとう、本当に嬉しいよ・・・。 ダメだな俺は・・・。 傷付けるばかりで何一つ、お前に返してやれていない・・・」

「そんな事ありませんっ! 私も柚木先輩が居ないと、廃人同然なんですから・・・・」

互いに瞳が合うと、二人して吹きだした。

「似た者同士だな、俺たち」

「・・・ですね」

見つめ合ったまま距離を縮め、どちらともなく口付けを交わす・・・・。

泣いたあとの深いキスは少し塩辛かったけれど、それ以上の甘い雰囲気で相殺されてしまった。










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「本当にごめんなさいっ!」

リリに再び呼び出された二人は屋上まで行くと、リースは扉の前でずっと待っていたのか、開けた瞬間に深く頭を下げた。

香穂子たちはいきなりの事に驚いた顔をしたものの、その表情をふと優しいものに変える。

「・・・あなたがリースちゃん?」

その問いかけにリースは小さく頷いた。

俯いている小さな妖精に香穂子は微笑みを浮かべ、ぽふぽふと軽く頭に手を乗せる。

「もう怒ってないから顔を上げて?」

「でもっ・・・私、日野香穂子と柚木梓馬と・・・リリ様にも迷惑掛けた・・・」

「それがちゃんと解っているなら、もう良いんだよ」

今度は柚木が口を開いて、ね?と・・・リリに同意を求める。

リリも頷き、笑顔でリースに言った。

「二人が許して、お前が反省しているなら・・・我輩からは他に言う事などないのだ」

三人の優しい言葉を聞いて、リースは上目遣いでそれぞれの顔をチラリと窺う。

「・・・・私を許してくれるの?」

その問いに三人は首を縦に振る。

リースはまた息を詰めて顔を俯けた。

すると、その場にそぐわぬ程の大きな溜め息を盛大に吐いて・・・・・。

「・・・じゃ、もういいわよね? あー、つっかれたー!」

んーっと背筋を逸らして、垂れていた羽もバサリと伸ばす。

先程の殊勝な態度など一気に霧散してしまったかのような変貌ぶりに、三人は暫し唖然となった。

「ずーっとらしくない態度を取ってると肩凝るのよね〜」

美容に悪いわ・・・などと呟くリースに、リリは震える声で尋ねる。

「お、お前・・・反省していたんじゃ・・・・」

けれど、リースはしれっとした顔で答えた。

「ちゃんとしてましたよ、あの時はね。
でも皆さん許してくれた訳だし、柚木梓馬たちは仲直り出来た訳だし、もう良いじゃない」

「・・・・っ」

ピキ、とリリの額に青筋が浮かぶ。

対してリースはそれに気付かずに喋り続けた。

「あ、私まだリリ様の事を諦めた訳じゃありませんよ? 正攻法はダメだったから・・・色仕掛け?」

「・・・っ、リース〜〜〜〜〜ッ!!」

「きゃっ」

リリは遂に怒声を上げると、それに驚いたリースはそそくさと逃げるように姿を消す。

「待てっ! 逃げるんじゃないっ!!」

そう言ってリリも後を追うようにして姿を消した。





――― そして、残された二人は・・・・。

「・・・・えーと・・・?」

未だ呆然と佇む香穂子を目尻に、柚木は呆れて髪をかき上げる。

「・・・何と言うか、時間を無駄にした気分だな」

「そうですか? 私はそれなりに有意義でしたよ」

ポツリと呟く香穂子に胡乱な瞳を向けた。

「・・・・あれで有意義か?」

最後まであの悪戯好き妖精に弄ばれた感の抜けない柚木は、香穂子の言う事が信じられない。

そんな柚木の表情を見てクスッと笑い、再び視線を逸らす。

香穂子が風見鶏の所まで移動する際に呟かれた一言が柚木の耳に入る。

――― 『私にとって柚木先輩の隣りにいる時間が有意義なんですよ』 ・・・と。

それを聞いた柚木はむしょうに香穂子を抱き締めたいと思い、同時に身体が動いていた。

「・・・わっ?」

彼女の身体を自分の両腕で拘束し、耳元で甘く囁く。

「そんなに可愛い事ばかり言ってると・・・・ここで抱くぞ?」

「――― なッ!?」

「冗談だよ」

半分はね、という言葉を飲み込んで優しいキスを落とした。

そうすると愛しさが込み上げ、腕の中の温もりをもっと感じていたくて・・・・ギュッと抱き締める。

「・・・柚木先輩?」

「もう少しこのままで、ね・・・」

香穂子の肩口に顔を埋めて安らぎにそっと瞳を閉じた。

この数日、散々思い知らされて改めて自覚した想い。

それは柚木の中でますます強大になっていた・・・・。

「二度とお前を手離さないよ、絶対に」

「ふふっ、約束ですよ?」

「・・・ああ」

二人は微笑んで抱き合ったまま、誓いの口付けを深く深く交わした。









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★あとがき★

前半は辛い思いをさせちゃったので、後半は甘々テイストに・・・。
謝ってばっかの柚木さん、個人的にツボですvv
普段は絶対に自主的に謝らなさそうだし・・・・。(失礼)
あと、うちの柚木はキス魔ですな!(笑)