腕の中の宝物
――― 放課後の森の広場で、柚木は香穂子を探していた。
理由は唯一つ、一緒に下校するためだ。
ならば約束の場所で待っていれば良いと誰もが思うだろう。
他ならぬ柚木自身だってそう思った。
けれど、時間になっても香穂子はなかなか現れず・・・・5分待ち、10分待ち、更に20分も待ったが一向に現れない。
元々気の長い方ではない柚木にとって20分も待っていられたのは奇跡だろう。
そして、とうとう来てしまった迎えの車に事情を話して待ってもらい、柚木は香穂子を探す為に校内へ再び引き返した。
・・・・・このような途中経過があり、現在に至る訳だが。
未だ見付からない事に対し、初めは苛立ったものの次第にそれは心配から不安に変化していく。
香穂子は自分との約束を忘れているのだろうか。 ・・・・いや、それとも彼女の身に何か遭ったのかも知れない。
自分と付き合いだしてから、香穂子へ向けられる女子の妬みの視線が密かに強まっている事を柚木は知っていた。
出来るだけ彼女に実害が及ばぬよう気を付けている積もりだが、それにも限界というものはある。
ましてや、香穂子と学年も学科も校舎も違うともなれば・・・・どうしても柚木の目が届かない部分だって出てきてしまう。
何より一番心配なのは、人に頼る事を良しとしない香穂子の性格そのものだ。
彼女に惹かれた一番の理由もそこだけれど、時には頼って欲しい場合だってある。
何か遭ってからでは遅いのだから。
「・・・こうしてても時間の無駄か」
小さな声で呟いて、ポケットから携帯を取り出した。
手っ取り早く電話で居場所を聞きだそうとメモリーを探る。 ・・・・・・が。
「あっ、柚木サマー!!」
突如聞こえた声に阻まれて電話どころではなくなってしまった。
本音を言えば、今このタイミングでファンになど会いたくはなかった。
しかし、会ってしまったものは仕方がない。
柚木はそっと溜め息を吐いて、余所行きの微笑みを浮かべると後ろを振り返る。
「・・・・どうしたんだい? そんなに急いで」
走って此処まで追い駆けて来たのだろう・・・・。 数人の女生徒たちは皆息を切らせていた。
「い、いえ・・・柚木サマのお姿が見えたので、つい・・・」
「ふふ、僕は逃げないから安心して。 今度からはゆっくりで良いよ、怪我をしたら大変だからね?」
「はいっ! 有難う御座います!!」
柚木が少し労わりの言葉を掛けると、彼女たちは決まって過剰に反応する。
前はそれが少しだけ面白く感じたが今はどうとも思わない。
もっと面白くて、大切なオモチャを見付けたから・・・・。
「・・・柚木サマ? どうかなさいましたか?」
一人の少女の怪訝そうな声に柚木はハッと我に返る。
香穂子の事を考えていたらボーッとしていたらしい。
「ん? いや、何でもないよ・・・」
誤魔化すように笑むと、何を勘違いしたのか彼女達はここぞとばかりに詰め寄った。
「何かお困りでしたら私達に是非ご相談下さい!」
「そうですわ! 微力ながらお手伝い致しますっ」
「有難う、その気持ちだけでも嬉しいよ」
柚木がにこりと微笑んだ時、何の前触れも無しに一陣の突風が吹いた。
「きゃっ」
女生徒たちは短い悲鳴を上げ、スカートと綺麗にセットされた髪を慌てて同時に押さえる。
柚木の長い紫檀色の髪も風で靡いたけれど、今日はたまたま一つに束ねていたので、それほど乱れはしなかった。
閉じていた瞳をそっと開いてみると、空中には風に飛ばされたのか、白い紙のようなものが一枚舞っている。
柚木は無意識にその紙を手に掴んでいた。
「・・・楽譜? ・・・アヴェ・マリア・・・」
音符が羅列した別段変わったとこのない、普通の楽譜。
紙が飛んできた方向へ瞳を向けると、此処から少し離れた木陰にはA4サイズの白い用紙が散乱している。
そして、その中央に座っている人物は・・・・・。
「――― 香穂子!」
柚木は今まで探していた相手を見付けると、一目散にそこへ駆けて行った。
後ろでは自分を呼び止める声が聞こえたが振り返らずに香穂子の元へ向かう。
傍らまで寄っても微動だにしない彼女を訝しみ、片膝をついて顔を覗き込む。
すると、香穂子の安らかな寝息が聴こえた。
柚木は半ば呆れながらも、安堵してホッと息を吐く。
もしかしたら、何処かに呼び出されて理不尽な事を言われているのでは・・・・と心配だったから。
だが、安心するのも束の間いつまでも此処に寝かせておく訳にはいかない。
車だって正門前に待たせている。
柚木は散乱した楽譜を集め全て揃っている事を確認すると、香穂子を起こす為に軽く肩を揺すった。
「・・・香穂子。 香穂子、起きて・・・」
しかし、余程熟睡しているのか一向に目覚める気配は無い。
もう陽だって傾いているし、ずっと木陰に居たからなのか、身体もとうに冷え切っていた。
このままでは本当に風邪を引きかねないと判断し、香穂子に自分のブレザーを掛けてやる。
それを見た柚木の取り巻きたちはギョッとして目を見張った。
「ゆ、柚木サマ! 何もそこまでしなくても・・・!」
「お風邪を召されてしまいますわっ!!」
「僕は平気だよ。 それより女性に風邪なんて引かせられないしね」
「・・・それは・・・でもっ・・・」
納得がいかない、という顔をしている彼女達が何か言う前に柚木は自分の唇に人差し指を立てる。
そのジェスチャーの意味を理解して周りはぐっと言葉を飲み込んだ。
「ごめんね。 やっぱり起こすのは忍びないから、このまま寝かせてあげたいんだ」
そう言う柚木は、香穂子の顔に掛かった髪をそっと払ってやる。
そして、彼女の身体をふわりと横抱きにして軽々と持ち上げた。
その瞬間。
「イヤ ―――― ッ!!」
所謂 『お姫様抱っこ』 を目の当たりにした彼女たちの悲鳴は広場中に響き渡る。
耳を劈くような奇声に柚木は僅かに眉を顰めたが、香穂子が起きていないのを確認すると直ぐに表情を和らげた。
「・・・じゃあ僕は彼女を送っていくけれど、君たちも気を付けて帰るんだよ」
そう言いながら親衛隊らの方へ向いた時には、もう先程の表情ではなくて普段の微笑みに戻っていた。
「いやぁっ、行かないで下さい! 柚木サマぁ・・・!」
泣き叫ぶ彼女達に柚木は苦笑し、もう一度 『ごめんね』 と言って足早に去っていく。
その腕に、確かな温もりを感じながら――――。
「いつも通り、香穂子の自宅へ寄って」
早速車へ乗り込むと、柚木は運転手に告げた。
「はい」
返事がかえってきて、静かに車は発進した。
チラリと横を見れば未だ眠り続けている香穂子の首はこっくり、こっくりと船を漕いでいる。
余りにも寝にくそうだったので、柚木は香穂子を起こさない様に気を付けながら、身体を自分の方へ凭れさせた。
「・・・ん、う・・・」
軽く呻いた香穂子は瞳を閉じたまま寝やすい体勢を探り、落ち着くと再び深い眠りに就く。
「・・・・かわいい」
先程の一部始終を見て、思わず洩れてしまった本音に柚木は慌てて咳払いをして誤魔化した。
その光景をバックミラー越しに見ていた運転手はクスリと笑い、微笑ましげな眼差しを送っている。
「・・・何だ?」
「いえ、別に」
バツが悪くてジロリと前を睨むと、運転手は視線こそ逸らすものの未だ表情は緩んだままだ。
柚木も視線を窓の方へと向け、車内には香穂子の寝息だけが僅かに聞こえている。
運転手は柚木に気付かれぬよう再びそっと様子を窺えば、香穂子の肩を抱いている彼の手が見えた。
その様子はまるで、宝物を護っているかのようだった――――。
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★あとがき★
400HITでリクを下さった風渡様、大変お待たせ致しました!(土下座)
『ほのぼの or 甘々で、香穂子が一番大切な柚木』 とのご要望でしたけれど・・・・。
相変わらずの駄文で本当に申し訳御座いませんッ!!
風渡様に限りお持ち帰り可ですので、煮るなり焼くなり・・・お任せ致します。
勿論 『こんなん要らねーよ!』 と思いましたら、そのまま捨て置くも結構です(汗)
最後に、折角リクエスト頂いたのに長くお待たせする結果となってしまい
改めてお詫び申し上げます。 そして、有難う御座いました。