――――冬休み。
柚木は一流大学へ通い、香穂子は受験の時期。
星奏学院内で行われた音楽コンクールが切欠で結ばれた二人も互いの都合が合わなくて
卒業して以来会っていなかった。
だが、長期休みに入った今ならば多少の調節は出来るため久しぶりにデートの約束を交わしたのだ。
今回の待ち合わせ場所は定番になってしまった香穂子の家・・・・・・・ではなく。
近所の駅前で待ち合わせていた。
いつもは香穂子の家まで車で迎えに来ていた柚木だったが
大学に入り家と決別してようやく自由を手に入れたのだった。
なので、家も当然出て大学から最も近いマンションを買ってそこに一人暮らしをしていた。
学生ならば普通は買えないのだろうが「一般」の家庭ではない柚木にはそれが当たり前だった。
しかしそれでも、家と決別したのなら尚更以前よりお金に困るはずなのだが・・・・。
神は人に二物も三物も与えるらしい。
頭脳明晰な彼の新しい趣味はネット株。
本人はゲーム感覚でやっているが利益は一般サラリーマンの年収を遙かに上回っている。
柚木曰く、リスクが大きい分面白い―――だそうだ。
付き合っている筈なのだが、以前よりも更に雲の上の人の様な感じがする。
そんな些細な不満も久々のデートという事でチャラになってしまう。
仕度が整い、鏡の前での最終チェックも済んで香穂子は約束よりも早い時間に家を出た。
*****
駅前に着き、柚木がまだ居ない事を確認するとホッと息をついた。
遅れていくとどんな仕打ちが待っているか、身をもって体験した事があるからだ。
まだかまだか、と逸る気持ちで待つのも悪くはない。
その時間さえも楽しいのだから。
「柚木先輩、まだかなぁ〜?」
着いてから一分も経過してないと言うのに、つい柚木の姿を探してしまう。
その時、後方から柚木ではない男子2人組みに声を掛けられた。
「ねぇねぇ。君さぁ〜、一人?」
「めちゃくちゃ可愛いじゃん!!
俺らと遊ぼうよ!」
口調からして、いかにも遊び慣れしてそうな軽い雰囲気を持っていた。
「いえ、えっと・・・彼を待っているんで・・・・」
正直、こういう人達が苦手な香穂子は早く立ち去って欲しくて「彼氏を待っている」と断った。
「えぇ〜?
そんなの放っといてさぁ、カラオケにでも行かない!?」
「そうそうっ!!
俺らと居る方が絶対楽しいって!」
何を根拠に言っているのか理解が出来ない。
彼らにはちゃんと日本語が通じているかどうか怪しいところだ。
くらくらと眩暈が起こり、足に力が入らなくなった所をまた後ろから支えられた。
驚いて振り向くと、間近に柚木の美貌があった。
その表情はいつもの万人受けする柔和な笑みではなく、怜悧で残酷な笑顔。
香穂子も流石にそんな顔は向けられた事がないので竦みあがってしまった。
「・・・誰が誰といた方が楽しいって?
馬鹿は休み休み言えよ。
あぁ、それとも脳が溶けてしまっているからまともな考えが出来ないのかな?
不憫だね」
侮蔑をこめて微笑み、だが目は決して笑ってなどいない。
「んだと!?」
辛うじて反論したものの、男たちの声は情けなくも掠れている。
今の柚木にはそれ程、鬼気迫るものがあった。
「俺の女に手を出したんだ。それなりの覚悟は出来てるよな?」
指をぱきっと鳴らす仕草に、本能で危険を感じ取ったのだろう。
男達は短い悲鳴をあげると、脱兎の如くその場から逃げ出した。
相手が見えなくなると柚木は自分の腕の中にいる香穂子に視線を移した。
その目は先ほどの凍てついたものでも、作り物の笑顔でもなくて
香穂子だけが知っている素顔の穏やかな眼差しだった。
「・・・大丈夫か?」
「はい・・・。ありがとうございました」
お礼は言ったものの、柚木の次の行動が気になって仕方がなかった。
何故ならば、彼はボランティアで人助けをする性格ではないから。
人が本当に困っている時は見捨てたりしないが、その後は必ずと言って良いほど見返りを要求してくる。
彼曰く『世間はそんなに甘くないんだよ』・・・・だそうだ。
なので、香穂子がびくびくするのも当然と言えば当然なのだ。
「遅れてしまって悪かったね。待った?」
香穂子は聞かれて、ぶんぶんと首を横に振った。
あの意地悪な柚木が素直に謝った事実に驚いて声が出ない。
だけど、その後にっこりと綺麗な笑みで『だよな』と言うあたりはいつもの先輩だ、と思った。
「じゃあ、行くか。――――ほら」
そう言って柚木は手を差し出した。
「・・・何ですか?」
「手。繋いでやってもいいぜ?」
「えっ?」
またも驚いてフリーズしてしまう。
普段は嫌がって絶対にしないし、自ら言い出すなんて事は天地が逆さになっても有り得ないと思っていたからだ。
「先輩、熱でもあるんですか?」
そう聞いてしまう程、今日の柚木は柚木ではないみたいだった。
そもそも、どんな時でも人前では偽善の仮面を外したりしないのに今日に限って本性を丸出しにしている。
いくら高校を卒業したとは言え、柚木の信者は絶った訳ではない。
これでは『三年間培ってきた信用』も崩れ去ってしまうのではないのだろうか。
「熱があったらここに居ないだろ。それに家を出たから猫を被る必要もなくなったし」
柚木はまるで香穂子の心の内を読んだかのようにさらりと答えた。
「機嫌が良いから特別サービスをしてやるよ。今日は甘やかしたい気分なんでね」
そう言って香穂子の手を取り、強くギュッと握った。
香穂子もまた、柚木の手を強く握り返した。
*****
二人は軽くショッピング街を廻った後、休憩も兼ねてお茶をする事にした。
「あっ、先輩!
ここのケーキすっごく美味しいんですよ」
そこは女性客やカップルを対象とした小さな喫茶店だった。
外装もシックな感じで悪くはない。
「そう。じゃあここにしようか」
柚木は扉を引いて香穂子を先に通す。
元の育ちの良さと容姿の良さとが相まり、女性をエスコートする様は本物の王子そのものだった。
店内に入るとウェイトレスが窓際の日差しのいい席へと案内する。
そしてメニューを渡されてから約10分。
香穂子はメニューを見ながら真剣に悩んでいた。
「・・・・まだ決まらないのか?
優柔不断なヤツだな」
そんな香穂子に呆れて嘆息まじりに言う。
「だって!!
どれも最高に美味しいんですよ!?」
「はいはい。それで、何を迷ってるわけ?」
「・・・紅茶シフォンとオレンジタルト」
「なら、俺は紅茶シフォンにしてやるよ」
え?
と香穂子の目が不思議そうに見開かれる。
「だからお前がオレンジタルトにすれば問題ないだろ?」
「えぇ!?・・・でも、悪いですよ!」
と、言いつつも目はキラキラと輝いている・・・・。
「香穂子・・・。
お前、顔に出過ぎ」
香穂子はアハハと軽く笑ってごまかす。
そして、注文してから間もない時間でケーキが運ばれてきた。
顔を綻ばせてケーキを食べていると、柚木は突然くすっと小さく笑った。
「どうしたんですか?」
「クリームが付いているから取ってあげるよ」
そう言うが早いか、テーブルに身を乗り出して柚木が接近し、香穂子の頬をペロっと舐めた。
酸素不足の金魚の様に香穂子は口をパクパクさせ、耳まで真っ赤になった。
当然、周りからの視線も痛い。
「そっ・・・そういう恥ずかしい事を人前でしないで下さいっ!!」
「俺は別に恥ずかしくなんてないけれど」
そんな勝手な事を言う柚木に『私は恥ずかしいんです!!』と憤慨した。
相変わらず、面白い反応をする香穂子を満足気な表情で見る。
「ねぇ、香穂子?
今から俺の家・・・来いよ。もちろん泊まりで」
柚木は更に顔を朱に染めるであろう香穂子を想像して、にっこりキッパリ告げた。
案の定、これ以上ないというくらい頬を染め上げて慌てふためく。
忙しく百面相している彼女を本当に愛しそうな眼差しで見つめ、次にどんな言葉で誘おうかと
甘い罠を考えていた。
完
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★後書き★
柚木さんにしては甘すぎたでしょうか??
だけど、私はこーゆー柚木さん個人的に大好きですvv