平日の朝、柚木は登校の支度を終えて普段通りに家を出る。
いつもと変わらない日常。
しかし、一つだけ普段とは違っていた。
今日は柚木一人での通学なのだ。
去年まではそれが当たり前だったというのに、今では違和感さえ感じる。
香穂子の居ない車内は何だか虚しくて、今更ながらに彼女の存在の大きさを知った。
そもそも、何故香穂子が居ないのかと言うと・・・・それは数分前に時間は遡る。
** 涙 の 理 由 **
柚木は靴を履き、鞄を持って門前で振り返る。
「それでは、行って参ります」
「行ってらっしゃい、お兄様!」
にこやかな妹の笑顔に見送られ、柚木も笑顔を返す。
手を振り、車へと乗り込むのは何時もの光景。
だが、不意に制服のポケットに入れていた携帯が鳴り出した。
こんな朝から誰だ・・・と、少し不機嫌になったけれどそれを顔に出す事はしない。
雅に表情の変化を悟られぬよう気を配りながらもディスプレイで名前を確認する。
その瞬間、不覚にも気を付けていた表情が少し緩んでしまった。
「もしもし?」
電話に対応しながら車を降り、運転手と雅からさり気なく距離を取る。
二人から声が届かない場所まで移動すると、先程よりワントーン声を低くした。
『あ、お早う御座います。 日野ですけど・・・』
「解ってるよ、携帯なんだから。 それより、こんな時間に何か用?」
『・・・えーと・・・柚木先輩はもう家を出ちゃいましたか?』
「いや、まだだが。 これからお前の家に向かうところだよ」
『その事なんですけど・・・・・・』
言い難そうにたどたどしく話される内容に、柚木は眉根を寄せて聴く。
不機嫌が増されたように見えるのは別に気のせいではない。
「―――ふぅん、風邪で休み・・・ね。 自己管理のなってない証拠だな」
腹いせに、わざと棘を含んだ言葉で返してやる。
普段ならば負けじと反論する香穂子だけれど、今は熱があるというだけあって弱っているのだろう。
生意気な言葉の代わりに返ってきたのは、謝罪だった。
元より気の強い性格の香穂子が素直に謝ることは珍しく、その反応に少しだけ戸惑う。
調子を崩された柚木は、もう二三言ほど言ってやろうと思っていた嫌味を飲み込んだ。
代わりに溜め息を吐いて沈黙する。
『・・・・あの、怒りました?』
「いや・・・今日は安静に寝てろよ」
『はい、そうします・・・』
「じゃあね、お大事に」
そう言って携帯を切ると、柚木はまた一つ溜め息を吐いた。
**************
――― 放課後。
HRの終了と共に荷物をまとめて帰り支度を始めた。
時計を見れば針は15時を示している。
こんなに早く学校を出るのは本当に久し振りだった。
今日は朝から退屈で、フルートを吹く気分にもなれない。
原因は、解っている。
『 香 穂 子 が 側 に 居 な い か ら 』
我ながら単純で、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
だが、どんなに取り繕おうとも彼女の事となると、こうして何一つ手に付かない自分が本当な訳で。
もう香穂子の居ない生活では暮らせないな、と・・・苦笑した。
正門を出て、家に連絡するわけでもなく駅前の商店街を歩く。
そして一軒の店が目に留まった。
そこは香穂子がお気に入りのカフェだった。
柚木はその店をジッと見て、やがて歩を進める。
「退屈ついでに、あいつの見舞いくらいはしてやろうかな」
そう言う柚木の表情は先程とは違い、どこか楽しげだった。
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