Only you need
〜君がいる倖せ〜
<香穂子SIDE>
「・・・ん・・・」
香穂子は太陽の日差しが起きぬけの目には眩し過ぎて、顔に手をかざす。
うっすらと目を開けると、先ず見知らぬ天井が視界に入った。
「あれ、ここ・・・・?」
自分の部屋の洋室とは違い、全て和風に整えられた部屋。
暫くぼーっとしていると、頭が覚醒してきたのか、ここが柚木の寝室だという事を思い出した。
それと同時に、昨夜の情事の数々も・・・・。
一部始終全て思い出してしまうと、今更ながら恥ずかしくて徐々に顔が熱くなる。
香穂子は自分の中の羞恥心を逃がすために軽く頭を振って、気分直しにもう一度眠る事にした。
ころん、と仰向けの体制から横向きになる。
だけどそれは同じ布団で眠っていた柚木と急接近する形になってしまい、香穂子はそのまま硬直してしまった。
眼前には柚木の美貌が差し迫り、瞬きするのを忘れてしまうくらい驚いた。
ドキドキと早鐘のように脈打つ鼓動が、柚木に聞こえてしまうと心配になるくらい心臓の音が耳につく。
しかし、目を逸らす事が出来なくて視線は柚木に注がれたままだ。
いつも香穂子が目覚めると柚木は先に起きているので、寝顔を見たのは今回が初めてだった。
額に掛かる紫紺色の長い髪をサラリと梳くように脇へ流すと、綺麗な柳眉と閉じられた少し切れ長の目が現れる。
普段から長いと思っていた睫毛は、瞳を閉じると更に長さが強調された。
通った鼻筋と、少し薄めの唇。
まるで芸術品のように、という形容がしっくりくる整った顔立ち。
そっと輪郭をなぞると擽ったそうに少し眉をひそめるだけで、起きる気配はない。
人一倍警戒心の強い柚木が、こんなにも無防備な姿を自分にさらけ出している事がどうしようもないくらいに嬉しい。
「先輩・・・・大好き・・・」
そう言って、掠めるようなキスを頬にした。
香穂子の中で愛しい気持ちがどんどん溢れてくる。
だから、その反動かも知れない。
口に出してはいけない、出すまいと決めていた本音を言ってしまったのは・・・・。
「・・・・この倖せが、ずっと続けばいいのに・・・」
だけど、それは自分勝手な願いで、所詮は叶わぬ想い。
本当に苦しんでいるのは自分じゃなくて、柚木だという事を痛いほど理解しているつもりだ。
だからもうそれ以上は言わないけれど、どうか今だけは許して下さい―――。
香穂子は心の中で許しを請いながら、先程と同じ触れるだけのキスを今度は頬ではなく唇に落とした。
「いつか、先輩と別れる時が来ても・・・・私は先輩だけを愛しています・・・」
ふいに涙が零れて、香穂子は慌てて顔を枕に伏せる。
横からチラリと柚木を見ると、まだ安らかな顔で眠っていた事に安堵した。
泣いている情けない顔なんて見られたくなかったから。
もし、柚木が起きていたなら無理矢理にでも涙は押し込めて笑おうとしたけれど、目を覚まさなかったので
ストップが効かずにそのまま香穂子は泣き続ける。
後で涙の跡が残ってしまうと思ったが、ひたすら声を殺して泣く事しか出来なかった。
そのためか、香穂子は疲れて泣きながらも再び眠りの世界へと誘われていく。
***********
<柚木SIDE>
陽が昇る少し前、柚木は腕の中にあるはずのぬくもりが感じられなくて目を覚ました。
見ると、香穂子は敷布団の端の方に蹲るような形で眠っている。
もちろん、そちらには布団は掛かっていないので、何も身に纏っていない香穂子の素肌が殆ど外に出ていた。
もう3月を終わろうとしている時期だが、やはり朝は冷える。
色っぽい、と思う前に見ているこちらが寒くなる。
「風邪でも引いたらどうするんだ・・・・」
溜め息を一つ吐いて香穂子を再び自分の元へ引き寄せる。
案の定、香穂子の身体は冷え切っていて冷たかった。
柚木はそんな彼女の身体を温めるように抱き締めて自分の体温を分け与える。
暫くそうやって抱いていると、今度は香穂子がもぞもぞと動き出して柚木の足に自分の足を絡めて
首に腕を回し、もっと身体を密着させてきた。
本人は大きいカイロに抱きついている感覚なのだろうが、柚木も健全な男なのでこれには少し困る。
「ちょ・・・っ、香穂子! お前くっつき過ぎ・・・・!」
慌てて身体を離そうとするのだが、香穂子がしっかりと抱きついているのでそれも出来ない。
柚木は諦めて、香穂子の好きなようにさせておく。
「・・・・お前から誘ったんだし、目が覚めたらもう一回だな」
そう言いながら、香穂子の長い髪をそっと指で梳いた。
いつも言葉とは裏腹に、柚木はとても優しく壊れ物でも触れるかのように香穂子を扱う。
未だ夢の中にいる彼女を起こさないように、香穂子の顎を上へ向かせて啄ばむようなキスをした。
「好きだよ・・・・お前だけが、とても――――。」
本当なら香穂子が起きている時に言ってやりたいのだが、自分を曝け出す事に慣れてない柚木にはこれが限界だった。
偽りの言葉ならばスラスラと出てくるのに、一番大切な人に伝えたい想いはまだ言えない。
自分がこれ程、不器用な人間だったなんて知らなかった。
自分がこんなにも他人を愛しく感じる事が出来るなんて知らなかった。
香穂子は自分すら知らない自分を教えてくれる。
そして、これからもずっと香穂子と一緒に新しい発見をしていきたいと心からそう思う・・・・・。
「・・・ん・・・」
腕の中で眠っていた香穂子が起きる気配を感じ取って、柚木は寝てる振りをした。
特にそうしなきゃいけない理由もなく、無意識の行動だった。
しかし香穂子はそれに気付かず、隣で何かブツブツと独り言を言っている。
傍から見ればかなり怪しい人物に違いない。
けれどそんな所も可愛い、と少しだけ思ってしまっている自分もそうとう末期かも知れない・・・・。
こっそりと自分に苦笑して、無意味な寝たふりを続けるのもだんだん飽きてきた。
そろそろ目を開けようかと思い・・・・・・やめる。
痛いほどの視線を感じたからだ。
柚木は少しだけ面白くなって、そのままの体制で香穂子の気配を探る。
「先輩・・・・大好き・・・」
言葉と同時に一瞬だけ頬にぬくもりが灯る。
ただそれだけの事なのに、どうしてこんなにも温かい気持ちになるのだろう・・・・?
けれど、そのキスは少しだけ切ないような気もした。
香穂子の不安がひしひしと伝わってくる。
そして、その不安の原因が間違いなく自分である事も解った。
「・・・この倖せが、ずっと続けばいいのに・・・・」
―――――続けられるさ、お前が俺を想ってくれる限りは・・・・・。
声に出せない分、心の中で応えた。
「いつか、先輩と別れる時が来ても・・・・私は先輩だけを愛しています・・・」
ぽたり・・・と柚木の頬に一粒の雫が落ちる。
言葉の語尾は少し掠れて、嗚咽を必死に堪えている様が容易に浮かんだ。
香穂子の泣き顔は一度も見たことがないけれど、泣き出しそうな笑顔は嫌と言うほどさせている。
瞳を薄く開けて様子を窺ってみると、枕に顔を埋めて声も出さずに泣いていた。
柚木はぎゅっと心臓をわし掴みされたように胸が痛んだ。
隣で震える細い肩を抱こうとして手を伸ばした瞬間・・・・・・・。
『三男と言えど、貴方は柚木家の男子なのですよ』
「・・・・・っ!!」
自分の祖母であり、この家の絶対的な権力者。
その言葉は柚木が幼い頃から聴かされてきた呪文だった。
あの時は別段気にしたこともなかったが、今は違う・・・・・。
この言葉が自分を縛り、愛しい人をも傷つける。
しかし、今回だけはいつものように、ただ呆然と全てを諦める訳にはいかない。
これ以上自分に嘘はつけないほど、香穂子の事を愛しているから・・・。
もう既に祖母と戦う決意は定まっていた。
それでも、今まで行動を起こせなかったのは香穂子の本当の気持ちが解らなかったからだ。
けれど、もう迷わない。
彼女は自分を想って泣いていた。
そして自分は、彼女をもう二度と泣かせたりしないと誓った。
それさえ見失わなければ、後ろなど振り返らない。
柚木は行き場のなくなった手を布団の中にしまって、再び瞳を閉じる。
その表情は先程とは打って変わり、何かが吹っ切れたように晴れ晴れとしていた。
暫くそうしていると、隣からは静かな寝息がまた聞こえ始める。
きっと、泣き疲れて再び眠ってしまったのだろう。
そっと瞳を開けて香穂子を見れば、幾筋もの涙の跡が残っていた。
もう乾いてしまった跡に軽い口付けを落とす。
しょっぱい味がしたけれど、それすらも癒すように、何度も・・・・何度も・・・。
「バカな子だね・・・・『愛してる』なんて泣きながら言う言葉じゃないだろう・・・?」
などと言う柚木の目はひどく優しく、香穂子だけを映していた。
「俺が卒業したら、二人でおばあ様に会って認めてもらおう。
決して容易な事じゃないけれど・・・・お前は俺が見初めた唯一の女性なんだから、自信もてよ?」
―――――だから、早く目を覚まして・・・・。 その泣き顔を笑顔へと変えてあげるから。
完
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★あとがき★
設定は『情事後の朝』です。 ・・・・・・が!
気付いたら、お家ネタに。
いつもプロットなしだと当初の予定から見事に外れる。
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