始まりはここから
「・・・はい、今日の練習はここまで!」
ピアノを教えている講師がパンと手を叩くと、俺も弾いていた手を止める。
「ご兄弟の中でもとりわけ上達が早いわね。 これなら直ぐにお兄様を抜いてしまうかも知れないわ!
もっと専門的にピアノを習った方が良いんじゃないかしら?」
「ありがとうございます、先生」
講師の言う通り、自分でも手応えがあったのは自覚していた。
強制的に習わされたとは言え、ピアノ自体は嫌いじゃなかった。
むしろ、弾いている時は無心になれて気持ち良かったから、自分にはピアノが性に合うんだろう。
講師が帰ったあとも、俺は練習室に篭ってピアノを弾いていた。
「梓馬、入りますよ」
「おばあ様・・・どうぞ」
ピアノを再び止めて祖母を練習室へと招き入れる。
「どうかされましたか?」
祖母は普段からあまり自室から出るタイプではなかったので疑問に思った。
「・・・単刀直入に言います。 貴方、ピアノはもうお辞めなさい」
「え・・・?」
「末弟が兄たちを追い抜くのは許されない事なのですよ。 解りましたね?」
「・・・・・」
「梓馬」
「・・・・・はい・・・」
俺の返事を聞くと祖母はそのまま練習室を後にした。
誰もいなくなった部屋には自分とピアノだけ。
けれど、先程みたいにピアノを弾く気にはもうなれなかった・・・・。
**********
沈んだ気分を晴らしたくて浜辺へと足を運んだ。
春先の海にはあまり人もいなくて、何よりも自然の美しさが痛む心を癒してくれるようだった。
レールの敷かれた人生と、人並み以上の生活が約束される未来。
それは別に構わない。
己の自由のない生活。
それも今のところはそれ程苦ではない。
ピアノだって自分に合っていると言っても、それで一生食って行くと思った訳じゃないし、思う筈もない。
だけど、もし自分に決して譲れないモノが出来てしまったら・・・・?
そこまで考えて、自分で自分を笑ってしまった。
「そんな事有り得ないのにね」
そう、有り得ない。
自分以上に大切なモノなんてこの世に存在する訳がない。
例え結婚したとしても、それはあくまで柚木家の利益になるから。
自分が相手を好きかどうかなんて元から問題ではない。
結婚も一つの手段に過ぎないのだ。
――――それに、本当に欲しいモノなんて結局は奪われてしまう。
奪われて、無かった事にされるのだから。
そう考えるとまた憂鬱になってきた。
これでは何のために気分転換しに来たのか解らない。
「・・・もう帰ろう」
さっきより少し日も暮れて、風が冷たくなってきた。
これで風邪でも引いたらシャレにもならない、と独りごちて歩き出す。
少しだけ紅く染まった空とそれを反射するような壮大な海を横目に歩いていると、突然背中に衝撃がきた。
「ぅわっ!」
「きゃっ!」
振り返ると女の子が尻餅をついていた。
「ごめんね、大丈夫・・・?」
手を差し伸べてやるとその子はパッと笑顔になってお礼を言った。
少女の明るい緋色の髪に良く似合う屈託のない笑顔で。
「うんっ!ありがとう! 私こそごめんなさい、余所見してたから・・・・」
笑顔だった表情が今度はシュンと俯く。
クルクルとよく変わる表情が少し面白くて思わずちょっと笑ってしまった。
「あっ! 今、笑ったでしょ!?」
「ごめんね。 可愛いなって思ったからつい、ね」
「えっ・・・!?」
少女の顔は驚きから、ボッと火がついたように耳まで紅く染まった。
ここまで素直に反応されると、可愛いと思う反面虐めたくなる。
「あれ?顔紅いけど・・・熱でもある?」
俺はその理由にわざと気付かないフリをして、更に顔を近づけて額をくっつけた。
「えっ、あのっ・・・熱ない、から・・・!」
「でもさっきより顔紅くなってるよ?」
「これは・・・その・・・・だ、大丈夫!!」
そう言って少女は俺の身体をグイッと押しのけた。
「お、お姉ちゃんが呼んでる気がしたから・・・・またねっ、お兄ちゃん!」
「うん、またね。 気を付けて帰るんだよ」
慌しげに走っていく少女の背中が見えなくなるまで俺はその背中を見送っていた。
完全に後ろ姿が見えなくなり、自分も元来た道を辿って家に帰る。
「あ、そう言えば名前聞いてなかったな。 ・・・まぁ、いいか。 もう会う事もないだろうしね」
だけど心のどこかで、また会いたいと思う自分もいる。
「またね、か・・・。 あの子にもう一度出会えたら、俺の人生も少しは楽しくなるかな?」
――――なるんだろうな、想像するだけで面白いんだから。
三年後・・・・・・・・・・。
―――ドンッ!
「あっ・・・。 ごめんね、ぶつかってしまった。 ヴァイオリンは大丈夫?」
「いえ、こちらこそすみません! えっと・・・大丈夫、みたいです」
「良かった、楽器は大切にしないとね。
・・・あれ? 君は普通科の子、だよね? どうしてヴァイオリンを・・・?」
「私もコンクール参加者なので・・・一応・・・」
彼女は苦い笑いを浮かべながら言った。
俺も話には聞いたことがあるので直ぐにピンときた。
「ああ、そうか。 普通科の・・・・日野さん?」
「はい! 普通科2年の日野香穂子です」
改めて名乗ると香穂子はパッと明るい笑顔を俺に向けた。
それでようやく解った。
あの時、浜辺で出会った少女が香穂子なのだと・・・・。
「僕は柚木梓馬。 音楽科3年でフルートを専攻してる。
僕もコンクールに出るんだ、よろしくね日野さん」
「はい、こちらこそ! よろしくお願いします、柚木先輩」
そう言って礼儀良くお辞儀する香穂子は、こちらの事を覚えてはいないみたいだった。
俺はそっと溜め息を吐くと、その場では『優しい先輩』を演じてやる。
「それじゃ、失礼しますね!」
「うん、またね」
さり気なくあの時と同じ事を言っても反応が無いと言う事は完璧に忘れてしまってるみたいだ。
けれど、今の俺には『面白い』という感情しかない。
「忘れているなら思い出させてやるさ。 ゆっくりと、ね?」
こうして再び出会えた奇跡をこの俺が見逃すはずないだろ・・・・・・・・・?
完
**********
★あとがき★
ふー。 終わったぁ・・・・。
ちょっと中3時代の柚木サマに萌えたので(今更かよ)
香穂ちゃんとの出会いを勝手に捏造してしまいました・・・・。
本当は柚木サマのお兄さんも出したかったのですが、名前が解らなくて断念;
妹さんなら解るんだけどなぁ〜・・・。
きっと、柚木サマの妹だから裏表あるんだろう・・・。
しかもブラコンとくるか。
結婚したら香穂ちゃん大変そう(汗)
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