「・・・・・っ・・・ふ・・・、・・・っ」


室内には香穂子の嗚咽を押し殺した声だけが響いていた。

自分でも情けないとは思うが、涙が止まらなかった。



後半は柚木に対して懇願していた。

もう止めて欲しい、と・・・・・・。

こんな事をされても、まだ心の何処かで信じていたのだ。

あの優しかった頃の柚木先輩を。


だが、そんな儚い希望は瞬く間に消え去った。

柚木はそんな香穂子を鼻で笑い、構わずに犯し続けたのだ。



自分が兄のように慕った彼は、もう居ない。

柚木の本性を悟ると、自然と香穂子の視界は歪んで涙が溢れ出した。


それを見た柚木は切ないような・・・・何とも言えない表情をし、動きを止めた。

しかし、それは一瞬で直ぐにまた揺さぶられた香穂子には、柚木の僅かな動揺には気付かなかった。
















A c t 4 .
















それから暫くして、香穂子にとっては長い長い拷問のような時が終わった。

ぼんやりと横たわったまま天井を見つめ、心に残ったものは・・・・、言いようのない虚無感だけだ。

香穂子は殆ど身に纏っていない制服をかき合わせる様に体を丸め、柚木に背を向けた。

そこへ身支度を整えた柚木が香穂子に声を掛ける。




「日野、車で送ってやるから早く支度を済ませろ」

「・・・・・・・いいです。 一人で帰れますから」

「そんな状態で? ロクに歩けもしないのに」

「少し休めば大丈夫ですから、柚木先輩は帰って下さい」



視線を逸らし、拒絶の意を示す。

だが、それに構わず柚木は香穂子の前までやって来た。



「やっ・・・・」



手を伸ばされ、反射的に身を強張らせた。

また押し倒される―――、そう思って。

だが、予想に反して柚木は香穂子の肌には触れずに、制服の釦をとめていく。




「・・・なに、してるんですか・・・?」

「見て判らない? お前がとろいから着せてやってんの」

「よ、余計な世話です! それくらい一人で出来ますから・・・・っ」



香穂子が暴れても止める気はないようで、柚木は構わずに着せていく。



「それに、私は先輩に送って貰わなくたって帰れますっ」

「・・・それは何時間後の話だ? あと15分で最終下校時刻だよ」

「だから! 先輩は先輩で帰ればいいでしょう!?」

「・・・・うるさいよ。 本当に歩けなくされたいわけ?」




ギロリ、と睨まれて思わずたじろぐ。

そうして血が昇っていた頭が、少しだけ冷静さを取り戻した。




「・・・・・・ねぇ、柚木先輩」

「なに?」

「どうして、こんな事するの?」

「・・・・・・・・」

「何かメリットでもあるんですか? それとも」

「・・・・・・・・」

「本当に私が嫌いで、目障りだから・・・・」

「違う」




今まで黙っていた柚木が香穂子の話を遮って口を挟んだ。

その行動に自分でも驚いたかのように目を瞬かせ、そして大きな溜め息を一つ吐く。




「嫌いなヤツにわざわざこんな事しないよ」

「じゃあ、どうして・・・」

「ムカついたから」

「え?」

「ムカついたんだよ。 お前と・・・、金澤先生に」

「紘人さん・・・?」




香穂子は予想外な名前が出てきて首を傾げた。

その様子を見て、柚木は二度目の溜め息を吐いた。



「質問には答えてやったんだ。 ほら、帰るぞ」



最後にスカーフをキュッと結んでやり、香穂子の鞄とヴァイオリンケースを持って立ち上がる。

荷物全てを持っていかれ、香穂子は柚木の背について行く他なかった。










***************










―――― 正門前。



「・・・・柚木先輩。 いい加減、私の荷物返して下さいよ」

「渡して、勝手に帰られるのは面倒だ」



そう言って、柚木には返すつもりがないのは明白だ。

だが、ここで押し問答する気力は香穂子にもなかった。

どうせあと数分したら、柚木家専用の高級車が到着してしまうのだ。

だから諦めて、荷物は柚木に持たせる事にした。

考えようによっては貴重な出来事かも知れない、と思いながら。


かと言って、柚木と二人きりというのも居心地が悪い。


早く迎えが来ないかと、香穂子は車道側ばかりを気にしていた。

だから気付かなかったのだろう。 彼が近くを通りかかったことに・・・・・。




「日野・・・と、柚木?」




声を掛けられただけで、心臓がドクリと大きく跳ねた。

後ろを振り返ったものの目は合わせられなかった。

これでは怪しまれてしまうのに。


凍り付いている香穂子を尻目に、柚木はいつもの笑顔で対応した。



「金澤先生、今お帰りですか?」

「いや。 俺は退屈な会議が終わったから一服しにな」

「校内は喫煙禁止ですよ」

「あ〜? そう堅いこと言いなさんなって、柚木」



金澤はバツが悪そうに頭をガリガリと掻いた。



「・・・にしても、お前さん達は遅い帰宅だな」

「ええ、まぁ。 セレクション前ですから」

「そうか。 いつも二人で練習してるのか?」

「日野さんと練習を始めたのは最近ですよ。 ・・・ね、日野さん?」



柚木に話を振られ、香穂子はハッとしたように頷いた。



「えっ? あ、はい!」

「・・・・・日野?」



そんな香穂子の様子を見て、金澤は怪訝な顔をした。

目が合えば、その視線は地面へと落ちる。

柚木とあんな行為をした後では直視など出来るわけがない。

視界が涙で歪みかけ、香穂子はぎゅっとそれを堪える。



「日野? ・・・・どうしたんだ?」



柚木が居る手前、呼び方は教師のものだが口調は完全に恋人として接している時のものだ。

本当に心配をかけてしまっている。

嬉しいと思う反面、申し訳ない気持ちで一杯になった。

自分は金澤に心配してもらえる立場じゃない。

彼が想っている 『綺麗』 な日野香穂子は、もう居ないから。


俯いたまま顔を上げようとしない香穂子を窺うように、金澤は一歩近づいた。

しかし、香穂子の背後からは車の停止した音が聞こえた。




「・・・ああ、迎えが来たね。 日野さん帰ろうか」




柚木の言葉に小さく頷き、涙を押し込めるように固く目を瞑る。

そして目を開くと同時に顔を上げ、金澤に笑顔を向けた。




「じゃあ金澤先生、また明日!」

「おい、待て・・・っ」



金澤の制止を聞こえなかった振りして走りだす。

車に乗り込んでからは振り返らなかった。

・・・・・否、振り返れなかった。

その時には我慢していた涙が溢れてしまっていたから。










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